五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

なにかを暗示しているのだろうか?

やけにリアルな夢だった。セリフもはっきり聞こえた。夢はあまりみないのだが、なかなか印象的だったので、文章を肉付けし、ひとつの物語に仕立ててブログに書き留めておこうと思う。物語の背景、登場人物の名称や特徴などの細かい描写はもちろん後付だ。

太郎おじいちゃんは大の偏食家で、野菜ラブ。 ゴールデンレトリバーの愛犬コタローは肉命。 一人と一匹で暮らし始めてもうすぐ10年になる。 梅子おばあちゃんが生きていたころは、「もっと肉を食べなきゃ元気でないわよ!」とよく小言を言われていたおじいちゃん。 おばあちゃんもコタローと同じく肉が大好きだった。 毎夜の食卓に肉料理が並ばない日なんて一日たりともないほど。 ステーキ、焼肉、生姜焼き。肉野菜炒めだって、いつも決まって、野菜が1で肉が3。 

おじいちゃんがベジタリアンになったのは40歳のとき。 地元のNPO団体が主催した「屠畜場見学ツアー」に興味本位で参加したのがきっかけだった。 牛や豚が流れ作業のように屠殺され、解体されていく姿を見たおじいちゃんは、帰宅後、ビーフジャーキーを奥歯でかみながらテレビを見て笑っていたおばあちゃんに向かって、「俺、もう肉食べないから」とだけ告げた。 

その日の夕飯から食卓の景色が変わった。 おばあちゃんの席の前には茶色が、おじいちゃんの前には緑や黄や赤い色が増えた。 おばあちゃんは、おじいちゃんが本当に肉をまったく受け付けなくなったことがなんだか腹立たしくて、肉の美味しさをみせつけるかのように無理してたくさんの肉をほおばるようになった。 

二十年が過ぎ去り、二人は還暦をむかえた。 若い頃から「肉こそ元気の源!」を信条としていたおばあちゃんも、いつしか肉を食べることがそんなに好きではなくなっていた。 肉をあまり食べられなくなったおばあちゃんは、かたくて飲み込めなかった赤身や焦げた脂身の残りを、最近飼いはじめた愛犬コタローにおすそ分けするようになった。 いつもドッグフードしか食べさせてもらえなかったコタローは狂ったように喜んだ。 

「この世にこんなうまいご飯があるなんて!」 

そんな表情を見せながら、いつも全力で肉にかぶりつき、二口か三口だけ噛んだらすぐに飲み込む。 その様子を嬉しそうに眺めるおばあちゃん。 おじいちゃんはますます肉が嫌いになった。 

それから夏と冬を二度ずつ越した5月。 おばあちゃんは病院のベッドで静かに息をひきとった。 窓の向こうには抜けるような青空が広がっていた。四十九日の法要を終え、蝉の鳴き声がうるさくなり始めたある夏の晩。 コタローに変化が訪れた。 肉を食べなくなったのである。

***

おばあちゃんが亡くなったあと、おじいちゃんはコタローの肉を買うため近所の肉屋に出かけるようになった。 

「いつも大好きな肉をご馳走してくれたおばあちゃんがいなくなってコタローもさみしかろう。せめて新鮮な肉を毎晩あげよう」 

そう考えたおじいちゃんは、噛む力が弱くなったコタローのために、やわらかい国産牛の薄切り肉を毎日100グラムだけ買い求めた。 軽く湯通しした肉を味付けもせぬままコタローの皿に放り込むと、コタローは、いましがたフードをたっぷり食べたことも忘れ、尻尾をぶんぶんと振り回しながら肉を二度三度噛み、すぐに飲み込んだ。 おじいちゃんは、鶏肉を加工したフードと、自分が買ってくる牛肉しか食べないコタローの健康状態を考えるようになった。 

「コタローのやつ、肉ばかり食べているのに、なんでこんなに元気なんだ?茹でたブロッコリーとか柔らかいサラダ菜とか全然見向きもしないぞ……」 

おじいちゃんの食卓の景色は、おばあちゃんが死んだあとも変わらなかった。 緑や黄や赤、そしてたまにつくる玉ねぎのマリネの白。 肉を見せつけるように食べるおばあちゃんがいなくなったことで、おじいちゃんはこれまで以上にベジタリアン道を疾走した。 

コタローが、おじいちゃんのヒザに前足を乗せてドレッシングのかかったサラダ菜のにおいを嗅ぐようになったのは、動物病院の定期健診で末期の脳腫瘍がみつかってからまもなくのことだった。

夢はここで途切れた。実際の夢はもっとぼんやりとした流れで展開している。記憶に残っている映像をエピソードも交えて構成し直し、細部を加筆して書き上げた。なお、家族にベジタリアンはいるが、私は大の肉好きである。

 

ご意見・お問い合わせ