ここ2、3年ニュースレターを読むのが毎日の習慣になっている。ニュースレターは非営利のメディアだからか、コンテンツ設計が比較的自由で個性的だ。良い意味でアクが強い。そのため自分の思想や文体的嗜好にフィットすると長く愛読できる。書き手の営業根性が薄いからか、全体的に文章がゆったりしていて押し付けがましくないのもいい。
そんなニュースレターの中で、いま私が特に気に入っているのが、Karpus(カーパス)だ。
Karpusのコンテンツにはいくつかのテーマがあり、週ごとにピックアップされて読者のもとに届く。レターには十分吟味したであろう言葉で知的なコラムが綴られている。考え方に納得できるものが大半だが、時には「この眼差しの方向は自分とは違うな」と思うこともある。だがそれはこのレターの多様性の証であり、私にとっては好ましいことだ(似たような考え方の似たような風向きの文章にばかり触れていると、ライターとしての底が浅くなるから)。
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コラムで大切なのは、ほどほどに広く深く考察し、ほどほどに整理整頓された文章であることだと思う。あまりにも広く深い洞察は、「どうだ!」と言わんばかりの抜け目のなさを感じてしまい、読んでいて息苦しくなる。定規で測ったように区画整理された表現は、画一化の美という目論見を逸脱し、どこか味気なさを感じてしまう。
何もかもを与えるのではなく、思考のきっかけや見知らぬ結論がありうることを予測させる。それが質の高いコラムの特徴だとするなら、Karpusはその条件をかなり満たしているように思う。
読者の無意識に働きかけ、考えるきっかけや時間をもたらす……そんな淡い残り香のような文章を書きたいと考えながら日々仕事をしている。だからKarpusを初めて読んだ時、文章からかすかな余韻を感じ取れたのは嬉しい体験だった。文章の持つ力に驚いたり絶望したりしながらライター稼業に取り組む日々にとって、この小さなニュースレターはちょっとした刺激となっている。