五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

仕事と旅の曖昧な関係〜高崎出張の回想

仕事で高崎市にでかけた。高崎は群馬県の中南部にある都市だ。群馬県は私が暮らす栃木県のお隣であり、高崎もそれほど離れてはいないのだが、なぜかこれまで縁遠い街だった。今回、高崎市タワー美術館で開催中の展覧会「比べて見せます!日本画の魅力」を取材する機会に恵まれ初めて足を運んだ。記事は美術展ナビに掲載していただいた。

artexhibition.jp

私にとって出張と旅の境界ははっきりしない。フリーランスのライターとしてでかけるせいもあるのだろう。遠方の街を訪ね、知らない道をてくてく歩きながらの取材は、会社員の出張とは気分が相当異なる。社員時代に出張したことは何度もあるが、ミスしないことと無事に帰ることばかりに気を取られ、緊張感から開放されることはついぞなかった。

他方、フリーライターになってからの出張では緊張はかなり薄れる。仕事の意識はむろんあるのだが、道中のワクワクする感覚が常に優位に立つので、ほとんど小旅行の気分なのだ。

これは取材記事の執筆という仕事の性質も影響しているだろう。取材記事の場合、出張先で仕事が完結することはなく原稿校了までがワンセットだ。したがって出張ではインタビューや撮影を無難にこなせればひとまずOK。持ち帰ったネタを首尾よくコンテンツに仕上げる場所は自宅やオフィスなので、出張先での緊張感の総量は半分でいい。だから旅を楽しむ余裕がかなりあるのだ。

このような心理状態はフリーランスならではの恩恵だろう。せっかく初めての街にでかけるというのに、プレッシャーに縛られて街並みをゆっくり楽しめないとは、人生のかなりの時間を浪費している感さえある。

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高崎市タワー美術館の取材は無事成功した。その余勢を駆って、雨に濡れた夕暮れの高崎をてくてくと20分ほど歩き、かねてより食してみたかったスパゲティを食らうべく、地元の名店『はらっぱ』本店に向かった。

www.harappa.co.jp

 

高崎は近年「パスタの街」を標榜していて、市内各所にうまいスパゲティを提供する店がたくさんある。『はらっぱ』はその中でも人気・実力ともに上位の店だという。

注文したのは、モッツァレラチーズのボロネーゼ。もちもちとした歯ごたえの生麺に肉肉しいソースとモッツァレラの新鮮な乳臭さがからみあい、口いっぱいに滋味が広がる一皿だ。この店の特長なのかわからないが、皿には麺と具のほかスープが波々と満ちていて、食べると同時に啜る楽しみも大いにあった。

驚いたのが、客足が途絶えずほぼ満席だったこと。地方都市で、スパゲティだけで勝負する専門店であることを踏まえると尋常でない人気である。なるほど高崎パスタは、ただのイタリアンのいちメニューではなく、ご当地を代表する特別なローカルフードなのだろう。

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店を出ると雨はほとんど止んでいた。高崎駅まで歩いて帰る途中、青信号に変わって横断歩道を渡ろうとした私の目の前を、左折するセダンが猛スピードで横切っていった。

茨城・栃木・群馬の北関東では運転が総じて荒い。周囲のひと目が少ないときなどは、横断歩道であってもクルマが歩行者を無視・軽視する危険なシーンによく遭遇する。私も、信号が青に変わるやいなや、猛烈な速度で左折するクルマにひかれそうになった経験は両の手では数え切れないほどある。

むろんそのようなドライバーの振る舞いは違法だ。だが、北関東の(特に夜の)公道におけるクルマと人間の序列はある種異様であり、歩行者は「自分の身は自分で守らなければならない」という意識なしでは生きていけない。《横断歩道で一時停止しないランキング》で、栃木も群馬もともに常連であるのは当然の結果だろう。

uub.jp

 

とはいえ、傍若無人なクルマのことなど、旅が私にもたらすプラスの波動の前ではさしたる問題ではなかった。これが帰路を急ぐ出張サラリーマンの身分であったなら、「バッキャロー、ころすきかああああ」などと罵声を夜空に響かせていたかもしれない。だがそのときの私は、取材が成功したことの安堵と極上のご当地料理にありつけた愉楽とで全身が満たされていた。誰かと一戦交えるような気分では到底なくて、むしろ「ああ高崎ナンバーの君よ。轢かないよう上手に避けてくれてありがとう」などと自虐めいた謝意さえ湧いてきたのだった。

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高崎駅から両毛線に乗車し、小山駅で宇都宮線に乗り換え、終点の宇都宮駅に到着したとき、ホームの時計の針は23時近くをさしていた。まわりはみな会社帰りの人、人、人。宇都宮には首都圏のベッドタウンという顔もある。埼玉や東京方面に通勤している人が少なくない。私のようにフリーランスの身で出張先から戻り、小さな旅の思い出を小脇に抱えながらホームに降り立った人はどれだけいるだろう。

ライターにとって、遠方への出張取材は仕事なのか、それとも旅なのか。緊張と油断を行きつ戻りつたゆたう時間。ふらふらとボウフラのように生きてきた私になんとも似つかわしいではないか……。