五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

師走になると思い出す、くだもの屋とパン屋のこと

師走になるとときどき思い出す、地元の二軒の店のことを書こう。

一軒目はくだもの屋だ。なじみの肉屋で惣菜を買って帰るとき、通りを隔てて目と鼻の先にあるそのくだもの屋で、私はいつもりんごや梨やみかんといった季節のフルーツをついで買いしていた。

そのくだもの屋は年老いたおばあさんが一人で切り盛りしていたのだが、一昨年の梅雨のころ、突然姿を見せなくなった。店先には別の年配の女性が立っていた。肉屋でコロッケを買うついでにおかみさんにたずねると、どうやら病気で入院しているらしい。

10月。数ヶ月ぶりにおばあさんが店先に出ていたのを見かけたので、みかんを一袋買い「元気だった?入院してたんだってね」と声をかけた。

「年内いっぱいで店、閉めるんだよ。いつもありがとね」と、おばあさんは日焼けした顔をほころばせた。もう思い残すことは何もないと言わんばかりに、とても晴れ晴れとした表情が印象的だった。

年の瀬も押し迫ったクリスマスイブ。閉店前の最後の挨拶にと思いくだもの屋に出向くと、落書きだらけの見慣れたシャッターが閉まっているではないか。閉店までまだ1週間もある。店じまいするには中途半端だ。怪訝に思った私は、肉屋でメンチを買い求め、さりげなく店のことをたずねた。

「おばあちゃんね、先週亡くなっちゃった。ガンの末期だったの。退院して少し休んだらお店に戻ってたけど、最後まで働きたかったのかなあ」

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師走になると思い出す店の二軒目はパン屋である。地味で小さな店構えのその店で初めてパンを買ったのは、大学4年の夏のこと。お盆で宇都宮に帰省したとき、自転車でふらふらとひと気のないさびれた商店街をぶらついてたときに見つけた。商店街が目的地ではなく、別の用事を済ませるために出かけた途中で、たまたまその商店街を通り抜けただけだった。

パンが好きな私は、「こんなとこにパン屋なんてあったっけ」といぶかしがりつつ、軒先に自転車をとめ、狭い店内に足を踏み入れた。ひとしきり棚を眺めたあと、あんパン、ジャムパン、カレーパンなど5、6個のパンを買い求めた。

するとご主人が、レジをたたきながらこう言ったのだ。四半世紀も前のことなのに、今でもはっきりと憶えている。

「こんなに買ってもらって、バチが当たるね」

別に爆買いしたわけじゃない。人気のパン屋なら6個どころか10個以上買う客も珍しくないだろう。しかしこの店はそういう類のパン屋とは対極にある。さびれた商店街の路地の奥で、申し訳なさそうに店を構える昔ながらの小さなパン屋だ。接客スタッフなどいない。パンを焼くのも、棚に並べるのも、レジをたたいてパンを袋に詰めるのも、全部ご主人がひとりでこなす。そういう店だ。

食パンやサンドイッチ、あんぱんやクリームパンがメインだから、クロワッサンやバゲットなんて洒落たパンなどあるわけもない。だから正直にいうと、私も少しとまどった。あんパンやジャムぱんやカレーパンくらいしかめぼしいパンがなかったから、それらをトレーに乗せたまでだった。

きっと、一人で来る客が6個も一度に買って帰る光景は珍しかったのだろう。そうに違いない。そうでなければ、親父さんのあの嬉しそうな破顔も、「バチが当たるね」というセリフも説明できない。

翌年の暮れに帰省した私は、ふとそのパン屋のことを思い出し、やはり自転車で商店街に向かった。今度はパン屋が目的地である。「やっぱりあんぱんとかカレーパンとか、地味なラインナップなのかな」などと、親父さんの笑顔を思い浮かべながら路地を横切ると、そこにパン屋はなくて、たかだか4台ほどしか駐車できない、狭くて薄暗いコインパーキングに様変わりしていた。