五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

春なのに、虚しくなる〜大谷翔平とアテンションエコノミー

大谷翔平選手の元通訳、水原一平氏にまつわる記事が氾濫している。どの記事も執筆のトーンは同じで、「もし」や「たぶん」や「おそらく」ばかり。確たる証拠がまだない状態なので仕方ないとはいえ、よくもまあ憶測であることないこと垂れ流せるものだ……と呆れてしまう。

もっとも、ニュースメディアは瞬発力が命なので、いかに読者の関心を集めて記事をクリックさせるか、キオスクの店頭で折り重なるスポーツ紙の中からどうやって選んでもらうかが勝負であることは事実。ゆえに多少不確かな情報であっても、その情報に基づいて憶測を書き散らしてしまうのだ。速報性を優先せざるをえないニュースメディアの性だろう。

***

ニュースメディア以上に節操がないと思うのは、SNS上の投稿や、ニュースサイトのコメント欄に寄せられる有象無象の言葉だ。専門家でも記者でもないのに、ごくごく断片的な情報から妄想する人が本当に多い。「通訳の借金を雇い主である大谷翔平が肩代わりするはずない。実は大谷が違法賭博に興じていて、それが当局にバレそうになったので、通訳である水原を身代わりに仕立て上げたのではないか?」といったなんとも想像力の旺盛なコメントも散見する。

当然のことながら、真実は当事者しか知らない。いまアメリカの当局とMLB機構が調査を始めているので、その過程で大谷選手と水原氏もなにがしかの調べを受けるだろう。また今日(3月26日)、大谷選手自らメディアに対して本件に関するアナウンスをするとのこと。私たち外野は、当局と本人が発信する情報をだまって受け止めるほかない。

***

この一連の騒動を眺めていると、私たちライターが関わる「コンテンツ」の世界はアテンションエコノミー(注意経済)にとことん侵食されているなあ……とため息をつきたくなる。

どんなに暇人でも、24時間ニュースを眺めているわけではない。有限の時間の中でテレビやネットにアクセスし、自分のアンテナにひっかかるコンテンツを次々に貪ってゆく。じっくりと中身を吟味することはない。

それゆえにニュースの読者は、タイトルや見出しや解説にならぶ根拠薄弱な煽り文句につられてしまい、ろくにファクトチェックすることなく飛びつき鵜呑みにしがちだ。その結果抱いた私的な感想を、鬼の首を取ったかのごとくSNSに垂れ流し、いいねやリプライがつくのを今か今かと待ち受ける。

もっとも、読者のそういった態度は不思議なことではない。特に社会人の場合、仕事・食事・移動・遊び・睡眠をのぞくと可処分時間はほとんど残されていないのだから。ニュースに触れる機会は自動的に「息抜き」の時間に格下げされてしまう。じっくりと読み込んで事実の真偽を見極め、押し寄せる無責任なコメントを無視し、客観的な捉え方に徹することはむずかしい。

***

なにが言いたいかというと、「丁寧にコンテンツを作り込もうとして、アテンションエコノミーから距離を置こうとするほど読まれなくなる」という悲しい現実があるのだ。

「私の書く記事はスポーツ紙のこたつ記事とは違う!タイトルや見出しといった外見で読者を釣ろうなんて考えないぞ!」と鼻息荒く執筆するライターは多いだろう。

立派な態度だと思う。しかし現実には、私たちライターが精魂込めて書き上げた文章や記事は、ほとんど読まれないまま忘れ去られる運命にある。この現実を知ってもなお、アテンションエコノミーに魂を売ることなく誠実に仕事をするライターでいられるかといえば、なかなかタフなことだと思う。

この危機感は最近出版される本にも滲み出ている。内容ではなく、タイトルやデザインや帯のコピーで耳目を集め、買ってもらうことに多くのエネルギーを注いでいるではないか。「〜が9割」「〜大全」といったタイトルは典型だ。9割でもないし、すべてを網羅しているわけでもない。しかし、そんなことは編集者にとってはどうでもいいのだろう。とにかく「9割」「大全」という言葉を入れておけば手に取る層がいることは事実なのだから。

***

一介のライターにすぎない私でも、大谷翔平と水原一平をめぐる駄文の群れと、その様子を無責任に消費することにいそしむ読者の姿を目にしてしまうと、「ライターって、なんのために仕事をしているのだろう……」と虚無や厭世に囚われそうになる。

そういえば子供のころ、「春なのに、ため息またひとつ〜」と歌う柏原芳恵が好きだったな。

 

ご意見・お問い合わせ

光線画の世界に酔う展覧会を取材した

那珂川町馬頭広重美術館で開催中の「タイムスリップ明治-夭折の絵師井上安治の「東京」-」を取材した。記事は美術展ナビで読める。

artexhibition.jp

井上安治は、明治の浮世絵の大家・小林清親に15歳で弟子入りし、17歳で画工(浮世絵の下絵を描く職人)としてプロデビューを果たすという天才だったが、栄養失調による心不全で26年の短い生涯を終えている。

浮世絵師としての活動はわずか9年間だったにもかかわらず、歴史に名を残す佳品を数多く残した。特に光線画の作品は清親の技を受け継ぐ正統派だ。今回の展覧会でも、安治が手がけた傑作をたっぷり堪能できる。

光線画には、旧来の浮世絵にみられるような極彩色の華美な描写はほとんどない。輪郭線を省いたり、遠近感や陰影を丁寧に活用したりと、西洋画の技法で下絵を描いた作品が多い。

江戸の浮世絵に親しんでいた当時の人々の目には、とても真新しい芸術と映ったことだろう。しかし現代の我々からすると、どこか懐かしくて、あたたかく静謐な絵と感じる。

***

光線画が描かれた期間は長く見積もっても明治9年から22年で、作品を残した絵師は、小林清親、井上安治、小倉柳村、野村芳国 (2代目)だけ。世に出た作品や論評の数からいえば、光線画は「超マイナー」なアートといっていいだろう。

そんな小さなジャンルの中に、美術ファンのツボに刺さる佳品が意外に多く存在しているのが面白い。光線画に特化した展覧会は非常に少ないので、栃木に立ち寄る機会がある人はぜひ観てみてはいかがだろうか。

ちなみに会場である馬頭広重美術館は、いまや世界的な建築家である隈研吾氏の初期の傑作だ。建築ファン・隈研吾ファンにとっては聖地になっていて、この建物を見るためだけに遠方から那珂川町に訪れる人も少なくない。近くには良い泉質の温泉もあるので旅の候補地としてもおすすめだ。

 

Hello again

昨年夏に一時停止した「書く仕事」を師走に再開して2ヶ月。ようやく、やっと、かつての感触を取り戻しつつある。

ライターを自称しているにもかかわらず、書いておカネをもらうという営みから離れた数ヶ月。どうやって生きていたかといえば、基本は寝て起きて食べてまた寝る……の繰り返しだ。

もっとも、それだけだと暇を持て余してしまうので、あいまに図書館や本屋にいって気になる本を手に取ってみたり。いつもとは違うコーヒー店で、普段あまり口にしない甘いラテを飲んでみたり。はるか昔に放り投げた分厚い法律書を倉庫の奥から引っ張り出して、舐めるように味読してみたり。そんなシンプルで、ワンパターンな日々。夏が過ぎ、秋が終わり、冬を迎えて、まもなく春がやってこようとしている。

***

書かない日々をやり過ごすうちに、徐々に心が整ってきて、仕事への意欲が回復し、筆に力がみなぎり、言葉が湧いてくるようになった今、「なんで書けないんだよ!」ともがき続けた果てに残った思念がなんなのかと考えてみたのだが、あまり気の利いた答えは浮かんでこない。

ただ、言葉をつむぐことから距離を置いて生きることはたぶん無理だろうなという漠とした感慨はある。

ライターとして金を稼ぐかどうか……という話ではない。誰かの発した言葉や文章を受け止めるだけで辛抱できるかという問いだ。

私の場合、どんなに稚拙でもかまわないから、やはり自分で言葉を生み出す時間に身を委ねていないと健全な精神を保てないことが身にしみてわかった。苦しみぬいたこの数ヶ月間は、「書くことへの未練」を噛みしめるための時間だったのかもしれない。

***

今でこそこうして顛末を呑気にブログに書いているが、一時はかなり深刻な事態だった。こんなことを言いたくはないのだが、ライターをやめて就職しようかとさえ考えた。ちょうどポストに郵便局の仕分けの仕事を募集するハガキが投函されていたので、単純作業が嫌いではない私は、うっかり電話しそうになった。もうライター稼業には戻れないかもしれないと、うっすら覚悟を決めていた。

再びこうして書く仕事に戻れたことを、素直に喜びたいと思っている。

益子の陶芸美術館で開催中のジュリアン・ステアと加守田章二の二人展を取材した。ジュリアンのワークショップの様子。

傍観者として朽ち果てていく人生

言葉に表せないほどの艱難辛苦を前にすると、人はよく「神も仏もない」とこぼす。神や仏を信じている人ほど神や仏のせいにしたくなるのかもしれないが、無理もないことだと思う。

今回の地震*1で自分自身とことん困惑しているのは、途方に暮れたくなるほどの「傍観者」っぷりである。時間が経過するにつれて被害が拡大し、希望は薄れていく一方だというのに、いつだって遠くから眺めることしかできない。

***

阪神淡路大震災のときは、大学3年の冬休みを東京の自宅で過ごしていた。日が昇るにつれてテレビ画面越しに映る景色が破滅的に変化していく。崩れ落ちた高速道路の橋脚。その日は一日中、炎に包まれ変わり果てた神戸の惨状を食い入るように見ていたのだが、東京はほとんど影響を受けなかったこともあり、「本当に日本で起きた地震なのか?」と疑うような目で眺めていた。

***

東日本大震災のときはライターとして走り始めたころで、ちょうど地元宇都宮の図書館で調べ物をしていた。ゆらゆらとかすかな揺れを感じ、「また地震か……最近やけに多いなあ」などと平静を装っていると、次第にゆさゆさガシガシと揺れが増し、しまいには床から突き上げるような爆発的な揺れへと豹変した。

数分間に渡って轟音が続くなか、館内のあちこちで聞こえる悲鳴。周囲のあらゆる書棚から大量の本が鉄砲水のように猛スピードで飛散した。図書館に通じる階段にできた巨大なひびを横目に急いで自宅に戻った後、テレビとユーチューブを1週間つけっぱなしのまま過ごした。消してしまうと大切な情報や決定的瞬間を見逃してしまうのではないかという恐怖心にとらわれていたからだ。

津波が生き物のように港を飲み込む光景。メルトダウンから猛烈な水素爆発を起こした原発。悪夢と言いたくなる惨状がどれだけ起きようとも、やっぱり私はときどき珈琲を啜りながらテレビ画面やパソコンのディスプレイをぼんやりと眺めていただけだった。

***

そして、今回。神も仏もないと吐き捨てたくなるほどの悲劇であっても、どうやら私は傍観者であることをやめないらしい。自分以外の親族10人を一度に喪った男性のニュースを前にして、「いったいなんの因果か、本当に気の毒なことだ」と心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けたのに、それでもなお遠い北陸の地で起きた他人事のように感じている自分がどこかにいる。

異世界の出来事であってほしい。現実ではなく夢であってほしい。

そう願いつつも、「栃木でなくて助かった」という邪な思いがよぎることを止められない。客席から舞台を眺めるだけの日々に慣れきってしまった自分を、こうして別の自分が冷めた目で見つめている。俯瞰に俯瞰を重ね、芝居の脇役どころか、裏方にエントリすることさえも拒んだまま、少しずつ朽ちていくのを待つほかないのだろうか。

 

ご意見・お問い合わせ

*1:正式名称は「令和6年能登半島地震」

「読書のマチズモ」は本当か?

齢五十を超えたライターでも、初めて知る言葉はたくさんある。2023年に私が学んだ言葉は「マチズモ」だ。

市川沙央の芥川賞受賞作品『ハンチバック』を読んで、私はこのカタカナ言葉に出会った。

市川さんがどのような人であるか、また『ハンチバック』が何を描こうとした作品であるかは多くの方がご存知と思うのでここでは省く。市川さんと『ハンチバック』のエッセンスを知りたいなら、次の記事がわかりやすくておすすめだ。

www.nhk.or.jp

マチズモとは「マッチョ」に由来し、男性の身体的な優位性を表す言葉だという。おそらくはジェンダーや差別的な問題を論じるなかで使われる言葉だろう。

ただ、『ハンチバック』で使われるマチズモには、この言葉がもともと持っている男性優位主義的なニュアンスは含まれていない。同作のなかで市川さんはこう書いている。

私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること。5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。(太字は筆者)

ここで比較対象の関係にあるのは男性と女性ではなく、「健常者」と「障害者」だ。「本に対して自由にアクセスできるか、好きなときに好きな方法で本が読めるか」という問題を考えるとき、健常者のような自由な読書ができない障害者を劣位の存在だと仮定し、優位な存在である健常者が享受する読書環境を評して、市川さんは「読書のマチズモ」と表現した。

本を読むという行為において、四肢や視力が不自由な障害者は、かよわく力のない女性のようなもの。他方、本に対して何の不自由もなくアクセスできる健常者は、マッチョでたくましい男性そのもの。その意味で健常者は障害者よりもはるかに優位な立場にあるのだから、「読書のマチズモ」は厳然たる事実なのだ……という解釈なのだろう。

***

理解はできる。しかし、市川さんのいうような読書のマチズモは、はたして日本社会にどのくらい蔓延しているのだろうか?

  1. 目が見えること
  2. 本が持てること
  3. ページがめくれること
  4. 読書姿勢が保てること
  5. 書店へ自由に買いに行けること

この5つの項目は、いまの日本で利用できる読書環境を考えたとき、健常者と障害者を区別する物差しとして機能しているのだろうか。

  • 目が見えること…目が見えない人は、活字を読むことはむろんできない。しかし、いまはスマートフォンの音声読み上げアプリがある。またプロのナレーターが文章を吹き込んだデータ(オーディオブック)も販売している。
  • 本が持てること…電子書籍をパソコンで読む限りは、本を手で持つ必要はない。
  • ページがめくれること…これも電子書籍をタブレットで読む限りは、画面の一部を軽くタッチできれば足りる。ただし、画面にタッチすることさえできないほどの障害がある場合は別だ。
  • 読書姿勢が保てること…これはどのような姿勢が苦痛であるかによって答えが変わる。座りながら本を読む姿勢がきつい場合、寝ながら読書姿勢をキープできるスタンドがあるから、そこに本やタブレットを設置することで寝ながら読書することは可能だ。
  • 書店へ自由に買いに行けること…アマゾンをはじめとするショッピングモールがあるから、リアル書店に出かけて本を買う必要はない。もちろん本を手にとって肉眼で品定めすることはできないから、その限りでは健常者との差異を受け入れる必要がある。

このように、市川さんが「読書のマチズモ」の根拠としてあげた5つの健常性が全て欠けていたとしても、読書すること自体は可能なのである*1

***

ただ問題は、「読書すること自体は可能」だとしても、そこに読書の楽しみはあるのかということだろう。

たとえば電子書籍には、紙の匂いや手触りは存在しないし、ページをめくると聞こえてくる紙が擦れる音もない。目の前にあるのは言葉のかたまりが電子データで表示された画面のみ。読者はそのデータに視線をやり、画面をタップすることしかできない。

このような動作に読書の楽しみを感じない人もいるだろう。

またオーディオブックともなれば、文字を視覚的に受け取ることができない。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」と美声のナレーションで聞いたところで、川端康成が意図した効果は享受できないだろう。

あれは物語の冒頭、空白行に続けて「国境の〜」と始まるからこそ雪国への旅路を強く連想させるのだ。文字を目で見ることで完成する小説をいくら音声で聞いても、作家の描いた世界観を十全に味わうことはできない。

その意味では、どれだけ電子書籍やKindleやブックスタンドやオーディオブックが発達しようとも、健常者と障害者が体験する読書の世界にはどこまでも隔たりがある。「読書のマチズモ」がそのような不可視な障壁を指し示すものであるなら、これを解消することは難しいだろう。

***

市川さんが問題提起したマチズモは、実は古くからある問題だ。

アマゾンや電子書籍が誕生するはるか前から、目の不自由な人に向けて、図書館の蔵書を朗読してテープに吹き込み、そのテープを貸し出す取り組みがあったことをご存知の方もいるだろう。

私の亡き母も、子供の本の朗読テープをつくるボランティアとして活動していた。いま私がこの記事を書き、また仕事の原稿を執筆するために使っている茶色の頑丈なデスクは、母がテープを吹き込むときに使っていたものだ。キーボードを無心にタイプしていると、ふとしたときに、朗読にふける母の静かで優しい声が蘇ってくる。

 

(1月2日追記)

元日に能登半島で起きた地震。報道を目にするたびに、なんの忖度も遠慮もない大自然の不条理ぶりに言葉を失う。一日でも早く平穏な日常が戻らんことを。

こういうときに私ができるのは、地元の一宮にお参りして、被災地の復興を祈願すること。この国の一宮は神のネットワークでつながっている。地元の一宮で捧げた祈りは、ネットワークを通じて被災地を神領とする一宮にも届く。

能登国一宮である氣多大社、加賀国一宮である白山比咩神社に対して強く祈りを捧げることをおすすめするが、特に氣多大社の御祭神である「大国主神」を祀る神社なら、祈りの力が現地の御祭神にも届きやすいのでおすすめしたい。

大国主神は、神社によって別の名を冠している場合があり、大己貴神や大物主神などと称されていることもある。

 

ご意見・お問い合わせ

*1:むろん「盲ろう者」は違う。目が見えず耳も聞こえないのだから、電子書籍もオーディオブックも使えない。点字に翻訳された本はもちろんあるが、タイトル数に限りがある。