五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

八月十五日、陽西町にて

本日8月15日、栃木県護国神社に参拝した。宇都宮市陽西町、住宅と学校に囲まれた一角である。表参道の木立に入ると、蝉の声が一段大きくなった。

18歳で上京してから54歳の現在に至るまで終戦記念日の参拝を欠かしたことはない。東京で暮らしていたときは靖国に、栃木に戻ってからは護国神社に。御魂の安らかな眠りを祈り、感謝の念をお伝えする日と決めている。

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8月15日は、厳密に言えば戦争が終わった日ではない。降伏文書に調印されたのは9月2日であり、国際法上の終戦はそちらを指す。8月15日は、ポツダム宣言受諾を国民が放送で知らされた日である。

それでも日本人にとって、戦争が終わったのはこの日だというのが一般的な認識だろう。昭和57年の閣議決定によって「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定められ、以来8月15日の正午には各地で黙祷が捧げられるならわしである。

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護国神社は全国の道府県にある。もとは幕末以降の招魂社で、昭和14年の内務省令によって一斉に「護国神社」と改称された。内務大臣が指定する指定護国神社は原則として一県に一社、当初三十三社、敗戦時には四十六社を数えた。それぞれの土地から出て、それぞれの土地に帰らなかった人を祀る施設である。靖国神社が国単位で担うものを、県単位で受けもつ存在だ。

栃木県護国神社の前身は、明治5年11月に創建された宇都宮招魂社である。最初に祀られたのは、戊辰の役に殉じた旧宇都宮藩主・戸田忠恕と藩士ら九十七柱。以後、西南戦争、日清、日露と祭神が積み重なり、現在は栃木県関係の戦没者五万五千三百六十一柱を祀る。

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祀られているのは軍人だけではない。戦場の病院や病院船で亡くなった従軍看護婦、勤労動員中に死んだ学徒、女子挺身隊員も含まれる。靖国神社では女性の祭神が五万七千余柱にのぼり、最初に合祀された女性は戊辰戦争で死んだ女軍夫だという。広島護国神社は、原爆で亡くなった動員学徒・女子挺身隊ら約一万柱を祭神に数えている。

栃木県護国神社が公表している由緒に性別の内訳はないが、県内の戦没者に女性が含まれていないと考える理由もないだろう。

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念のため書いておくが、私は戦争を賛美するために参拝したのではない。

神社側は祭神を「英霊」と呼ぶ。その呼称には、死を意味づけ、価値づける響きがある。

しかし私はその言葉を自分の口では使わない(仕事で書いた文章で一度だけ「英霊」という言葉を使ったことはあるが、本意ではない)。

戦没者の死に意味があったことは事実だろう。しかしそれは、「意味があったのだから仕方がなかった」という言い訳に転化しがちだ。「英霊」という言葉は、それを気やすく口にする者に、戦争を無自覚に美化させるパワーを有している。危ない言霊である。

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戦争は起こしてはならない。あの戦争は間違っていた。論じるまでもないことだ。

しかしそのことと、あの戦争で死んだ人に手を合わせることは何ら矛盾しない。むしろ矛盾させてしまうと、追悼の場は必ず、追悼以外の何かに使われるリスクが出てくる。

広島や長崎の被爆者追悼式典で、無礼極まる騒ぎを繰り返す輩が例年あとをたたないが、あの連中もなにがしかの思惑のために戦没者の御魂を利用・借用しているのである。

ただ静かに祈りをささげ、手を合わせ、頭を垂れる。こんな簡単な作法になぜ抗うのか。

鎮魂の気持ちには右も左もない。それを知って騒ぎを起こすような連中はもはや「人の形をした獣」であるから、万死に値する。天網恢恢疎にして漏らさずである。ろくな死に方をしないだろう。

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靖国神社や護国神社に祀られているのは「戦果」ではない。「兵器」でも「作戦」でもない。人間一人ひとりの名前である。

田畑を耕していた人、店を継ぐはずだった人、子が生まれたばかりだった人。徴集され、動員され、遠い異国の地で果て、多くは骨も戻らなかった無名の人たちである。

自ら望んだ死に方をした者は、おそらくほとんどいない。

「天皇陛下万歳!」

そう叫びながら果てたからとって、真に心からよろこんで天皇陛下のために死んだわけではないのである(そういう思想のもと散華した人がいることは知っているが、それを一般化することはできない)。

彼ら彼女らの慟哭の上に、今を生きる私の8月がある。

冷房の効いた部屋で原稿を書き、締切に苛立ち、夕方には何を食べるかを考える。取るに足りない一日だが、世界を見渡せば、取るに足りない一日を送れることのほうが例外であり、特別だろう。

 

夕刻となりすでに人影のたえた護国の境内で、賽銭を入れ、いつものように二礼二拍手一礼をした。

ほかの社に参るときは、ここで

「祓えたまい、清めたまえ、神ながら守りたまい、幸えたまえ」

と略拝詞を唱えるのだが、靖国や護国の森ではそのようなことはしない。

 

「ありがとうございました。やすらかにおねむりください」

 

と伝えるだけだ。

 

参拝を終えて、砂利を踏みしめながら帰途につく道すがらも、晩夏の蝉はやかましく鳴いていた。まもなく秋である。

 

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見ているだけでは始まらない。「ゲームと美術」の難しい関係

宇都宮の栃木県立美術館で開かれている企画展「ゲームと美術 信長の野望/コーエーテクモゲームスの野望——インタラクティブ・アートの誕生」を取材し、美術展ナビにレポートを書いた。

artexhibition.jp

 

『信長の野望』シリーズ43年の歩みをたどる回顧展であると同時に、プレイヤーの操作で世界が変わる「ゲーム」というメディアを美術館がどう扱えるのかを正面から問う企画である。回顧するだけなら容易だが、「ゲームと美術」というテーマはかなり厄介であり、全国でもほとんど類例がない。

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第4章の試遊コーナーには、PS5版『信長の野望・新生』が置かれていた。台の上にコントローラーが一つ、壁に画面が投影されている。取材の合間に握ってみたが、内政画面の意味を飲み込む前に席を立った。ほかの客が近づいてきて、ちょっと触りたそうな気配を醸し出していたからだ。

くだんの記事には、「壁面の映像群は第三者による操作の記録であり見る側は傍観者にとどまる、試遊機でコントローラーを独占できるのは数分間が限度だろう」と書いた。

字数の都合で書けなかったのは、なぜ数分では足りないのかという理屈のほうである。

絵画の鑑賞では、時間はこちら側にある。三十秒で通り過ぎてもいいし、一時間座っていてもいい。長く見た者が偉いわけでもない。作品は鑑賞者の都合に合わせて、黙って壁に掛かっている。

ゲームは逆だ。時間を差し出さないと、何も起こらない。

第1章の年表脇のモニターでは、1983年の第1作の画面が動態展示されている。ヘックスのマスに設定された地形が部隊の移動を左右する仕組みが、字幕付きで解説される。山を避けて進むか、あえて越えるか。この駆け引きは最新作にも受け継がれており、シリーズの骨格が第1作ですでに固まっていたことがわかる。

だが、その一手の重さは字幕では伝わらない。米が足りず、兵が足りず、隣国が動きそうだという焦りのなかで山を越えるかどうか迷う。あの数秒の意味は、何十時間か積み上げた者にしか立ち上がってこないのだ。

プレイという鑑賞体験は、鑑賞者にそれなりの時間の供出を要求するということだ。そしてここが、美術館という装置と原理的に噛み合いにくい点である。美術館とは、来館者がいつでも切り上げて次の部屋へ進めることを前提に設計された建物なのだから。

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第1章の展示では、初期の開発に使われたシャープの8ビットマイクロコンピュータ「MZ-80C」がガラスケースの中に鎮座していた。よほどのマニアでなければ実物を見る機会のない希少機だが、電源が入っていないのが少し残念だった。かつて『川中島の合戦』や『信長の野望』を生んだ装置が、いまや完全に「見る」対象になっている。

その一方で、1983年の作品画面はケースの外のモニターで動いている。

もっとも、これを「動くものは美術館に馴染まない」と受け取るのは早計である。映像作品はとうに収蔵と展示の対象であり、モニターやプロジェクターの並ぶ展示室は珍しくもない。本展のウォークイン・シアターにしても、来場者の注目をよく集めていた。

線引きは、動くか動かないかではない。鑑賞者が手を出さなくても成立するかどうかである。

映像作品は動くが、こちらは座っていればいい。始まりと終わりは作品の側が決めており、途中で立ち去っても作品そのものは損なわれない。額装された原画も、屏風も、南蛮甲冑のレプリカも同じである。第3章で、生賴範義から長野剛、内田パブロ、日田慶治へと連なるパッケージ原画が堂々と成立していたのは、美術館が長らく手入れしてきたのが、まさにこの「手を出さなくても成立するもの」を預かる技術だからだ。

しかしゲームはそこから外れる。コントローラーを握る者がいなければ、どんなにエキサイティングで芸術的な画面であっても、待ちぼうけをくらうだけだ。

だからこの展覧会の困難たる所以は、「企画の詰めが甘い」という話ではない。美術館という建物と制度の側の限界なのである。

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先月、「時は流れない。それは積み重なる。」というコピーについて書いた。

hatesatetakuo.hatenablog.com

ゲームもまた、流れる体験ではなく積み重なる体験なのだと思う。

1978年に足利で染料と工業薬品の問屋として始まった会社が、1981年に『川中島の合戦』を出し、1983年に第1作を世に放ち、合戦をリアルタイム制に移し(2001年『嵐世記』)、フル3Dに踏み込み(2003年『天下創世』)、武将一人ひとりに「志」に応じたAIを持たせるところまで来た(2017年『大志』)。

43年かけてこの世界的に知られる名作を熟成させたのは開発者だけではない。何十時間もかけて天下を取った者(プレイヤー)がいなければ、次の一作は作られなかった。美術館の壁面に流れているのは技術の変遷史だが、同時に無数のプレイヤーが差し出してきた時間の総量の記録でもある。

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やまゆり園事件から10年。「社会は良くなっていない」という言葉

 

2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が侵入し、入所者19人を殺害した。職員を含む26人が重軽傷を負った。

もう10年である。

新聞記事には、犠牲者の名前が刻まれた献花台に、一人につき一本ずつヒマワリを供える男性の写真が掲載されていた。

福祉関係の仕事をしているというその男性は、こう話している。

「この10年、社会は良くなっていないですよね」

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事件が起きた当時のことを思い返してみる。

なんと凄惨な事件なのだろう。犯人の主張する、重い障害のある人間は社会に必要ないという考え方に強い嫌悪感を覚えた。

 

しかし正直にいえば、それは「テレビや新聞の向こう側で起きた事件」だった。

優生思想、障害者差別、命の尊厳。

そうした言葉を使って事件について考えてはいても、私の理解はかなり観念的なものだったと思う。

 

それから10年が過ぎ、私はいま、宇都宮市内の特別養護老人ホームで働いている。

高齢者施設と障害者施設では制度も役割も異なる。両者を同じものとして語ることはできない。

それでも、施設で暮らす人を「支援される人」としてだけ見る危うさについては、少しずつ実感できるようになった。

 

機嫌の良い日もあれば、何を話しかけても返事をしてくれない日もある。何度説明しても同じことを尋ねる人がいる。家に帰りたいと繰り返す人もいる。食事を拒む人、職員に腹を立てる人、冗談をいって笑わせてくれる人もいる。

施設の外から眺めれば、同じような高齢者が静かに暮らしているように見えるかもしれない。

しかし、中に入れば当然ながら、一人ひとりがまるで違う。

それぞれに名前があり、性格があり、家族があり、積み重ねてきた時間がある。

そんな当たり前のことを、私はこの半年余り、毎日の仕事を通じて遅まきながら教えられている。

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くだんの記事の見出しには、「優しく寄り添う社会を」という言葉が使われていた。

福祉の世界において、「寄り添う」ほど便利な言葉はない。

利用者に寄り添う。家族に寄り添う。地域に寄り添う。

困ったときにこの言葉を置いておけば、とりあえず文章全体がやさしそうに見える。何をどうするのかが書かれていなくても、なんとなく立派な理念を掲げた気分にもなれる。

 

しかし、本当に人に寄り添う作業は、そんなに美しくも効率的でもない。

同じ話を繰り返し聞く。相手の言葉が出てくるまで待つ。こちらの都合で急がせない。腹を立てられても、人格まで否定されたと思い込まない。相手ができないことだけでなく、できることを探す。人手も時間も足りないなかで、それを毎日続けなければならない。

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やまゆり園事件の犯人は、障害のある人の命を、「社会にとって役に立つか、負担になるか」という物差しで選別しようとした。

それは極端で異常な考え方である。

だからこそ私たちは、犯人を異常な一人の人間として切り離し、事件を特殊な犯罪として片づけたくなる。

 

しかし、事件から10年を迎えて発表された障害者団体の声明は、この事件を「特異な人物による特異な事件」として矮小化し、忘れ去ろうとする社会のあり方に危機感を示している。

人間を生産性や効率で評価する言葉は、事件後も社会から消えていない。コストパフォーマンス、タイムパフォーマンス、自己責任、社会保障費の削減。

「役に立つかどうか」で人間の価値を測り始めれば、その物差しはいつか必ず自分自身にも向けられる。

 

病気になったとき。

働けなくなったとき。

認知症になったとき。

誰かの手を借りなければ、食事も排泄も移動もできなくなったとき。

 

その段階になって初めて、「役に立たない人間(=自分)にも生きる価値がある!」と主張しても、少々虫が良すぎるというものだろう。

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事件から10年を前に開かれた追悼式では、津久井やまゆり園の園長が、どれほど重い障害があっても、一人ひとりに感情と意思があり、心が生きていると述べた。

神奈川県知事も、10年たって時代が変わったといえる自信はないと話している。

「社会は良くなっていない」

献花に訪れた男性の言葉を、簡単に否定することはできない。

 

それでも、犠牲になった一人ひとりの名前を見つめ、一本ずつヒマワリを供える人がいる。

事件を忘れまいと集まる人がいる。

施設のなかでは今日も、誰かが誰かの口にスプーンで食事を流し入れ、車いすを押し、汚れたおむつをかえている。

 

社会が良くなったかどうかを、大きな言葉だけで判定することは難しい。

ただ少なくとも、人の命を役に立つかどうかで選別しないこと。

目の前にいる人を、ひとまとめの「障害者」や「高齢者」としてではなく、一人の人間として扱うこと。

そのくらいなら、たぶん、ずぼらな私でもできる。

 

優しく寄り添う社会とは、誰も反対できない美しい標語を掲げることではない。

面倒で、非効率で、報われないことも多い小さな仕事を、途中で放り出さずに繰り返す社会のことなのだと思う。

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積み重ねる

youtu.be

 

好きなCMがある。1992年放映、サントリー・クレスト12年。バーカウンターに座るショーン・コネリーが、贈られたグラスでウイスキーを静かに口に運ぶ。

このCMが好きな理由は、亡き父の面影である。

父はサントリーのウイスキーをこよなく愛飲していた。ウイスキーをストックする棚にはクレストやオールドが置いてあり、たまに扉を開いては、ナイトキャップとしてごく少量をストレートでなめるように飲んでいた。

 

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CMの最後に、有名なコピーが流れる。

時は流れない。それは積み重なる。

 

傑作だと思う。

 

「時は積み重なる」

と一息でまとめることもできるだろう。

しかしそれでは半端になる。「当たり前だよね?」と突っ込まれるおそれがある。

 

「時は流れない」のであるなら、ではいったいどうなるのか?

それに続く答えが「それは積み重なる」である。「時は積み重なる」ではない。「それは積み重なる」である。

「それは」としたことで、このコピーを読む人の何割かは「それ、とは?何を指しているの?」と手前のフレーズを必ず読み返すことになる。その往復によって、「時は〜積み重なる」というこのCMの主題が増幅し、サントリークレスト12年という商品の存在感もまた純度を増していくのである。

 

このコピーを書いた秋山晶は

時は流れない。時は積み重なる。

という候補も当然考えたはずだ。

悩む秋山を前にサントリーの上層部は、「秋山さん、あなたに任せます」と伝えただろう。彼のような超一流のコピーライターを前にして、クライアントがあれこれ指図するのは野暮というものだから。

 

時は流れない。時は積み重なる。

時は流れない。それは積み重なる。

 

意味は同じだ。しかし、印象はまるで違う。前者は二つのフレーズが断絶している。後者は強固につながっている。

 

断絶することで輝く場合もあるが、このコピーに限ってはそれでは駄目なのだ。

12年もののウイスキーのCMコピーなのだから。年老いた名俳優にセリフのない極上の演技をさせるのだから。

長い時間の経過が、「ただ流れ去っていく」かのような空虚さを1ミリでも想像させてしまったら、その瞬間に負けとなる。コピーもCMも駄作となる。

冒頭の「時は」が、最後の「積み重なる」まで一筋につながっていること。それがこの奇跡のCMを成立させるコピーとして絶対の条件だったのである。

 

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12年ものの原酒が樽のなかで熟成していく歳月と、俳優として深みを増していくコネリーの経歴を重ねた、ただただ美しいコピーと美しい映像。初めて観た二十歳そこそこの私は、この作品の真価がまるでわからなかった。

 

54歳になったいまではどうだろう?

生きる指針になった、とさえ言えるかもしれない。

 

だから、ふとしたときに人生の計画について考えを巡らせるときは、

「それは、積み重ねることができるのか?」

と自問自答するようになった。

 

一発逆転の挑戦。

記念碑的な大仕事。

人生を変える出会い。

 

そういう単発の事象を私はもう当てにしない。続きのない行動は、所詮思い出にしかならないのだから。原酒の熟成に12年の歳月が要るのなら、私のような凡夫の人生に必要な歳月は12年どころではあるまい。

 

依頼された原稿を締切までに納める。施設の仕事を淡々とこなす。先祖の墓守を休まず続ける。書き出すのも恥ずかしいほど平凡な反復作業だ。しかし、平凡な積み重ねにこそ人生の味わいがあることを、この年齢になってようやくわかってきたように思う。

 

寝巻きに着替えた父が、棚の扉を開けてクレストをグラスにほんの少量注ぎ、趣味の書棚を眺めながら、何十分もかけて飲み干していたあの姿。

単にもったいなくてちびちび飲んでいただけなのか、それとも積み重ねた時間を一滴ずつ噛み締めていたのか。

いまとなっては知る由もない。

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ハラハラハラハラ、やかましいわw

明日は仕事が休みである。となれば、ネットサーフィンである。ある言葉が目に入った。

「マルハラ」

いったい何を示す言葉かわかるだろうか?

また何か新しいハラスメントが増えたのだろうと思った。

実際そのとおりだったのだが、問題は「マル」の意味である。

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セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、パタハラ、カスハラ。ここまではいい。「〜ハラ」の「〜」が何を意味するかはすぐにわかる。

 

アルハラ、スメハラ、音ハラ、フォトハラ、ワクハラ、フキハラ、妊活ハラ、2人目ハラ、ひとりっ子ハラ。これらもなんとかわかる。

 

ソーハラ、リモハラ、オワハラ、エイハラ、カラハラ、ホワハラ、グルハラ、エアハラ、マチハラ、マリハラ。

 

…なんだ、これは?

 

「ハラスメントという言葉を聞くこと自体がハラスメントです。ハラハラだ!」

などと言い出す人が現れそうで怖い。

いや、すでに日本語には「ハラハラ」という言葉があったっけ。「ハラハラする!」という心理は別にハラスメントでもなんでもないけれど。

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名前がつくことで可視化する問題もある。「我慢しろ」「気にしすぎだ」で片づけられていた苦痛が、名詞を与えられたことで問題意識を社会が共有することは悪いことではない。

 

しかしである。

 

不快だったこと。

配慮が足りなかったこと。

単に相性が悪かったこと。

本当に尊厳を傷つける加害行為。

これらを全部同じ箱に入れて「ハラスメントです」と言ってしまうと、かえって大事な問題までぼやけてしまわないか。

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そんなハラハラ増殖ムーブの最中に偶然見つけたのが、冒頭の「マルハラ」である。

意味は…

句点の「。」によるハラスメント

だそうです。笑。

 

LINEやチャットの文末に句点をつけると、若い世代には「怖い」「怒っている」「冷たい」と受け取られることがあるらしいのだ。

 

本当にそんなひとがいるのだろうか?

いくらなんでも繊細すぎやしないか?

 

というか、なにか特殊な傾向があるのではないか。

たとえば、「文の終わりを示すマークである句点を目にすると、相手との関係性も終わるのではないかという強迫観念に追い込まれてしまう」とか。

 

いや、いくらなんでもそれはないか。

句点ひとつでそこまで追い込まれるなら、チャットもメールも手紙も、相手がいる言葉のやり取りはまったく成立しないはずだろう。

 

いったいどんな心理がそこに隠れているのだろう。

いったい人間は、どんな言葉の学びを経ると、このような異常な心理状態になるのだろうか?

マルハラうんぬんの由来よりも教育心理学や発達心理学的な因果関係に興味が湧くよ。誰かすっきり説明してくれないかな。

 

「承知しました。」

 

この最後の丸である。

この小さな黒い点が、見る者を無言で威圧し、心を破壊するというのだ。

 

ライターとして無数の「。」と付き合ってきた私としては、ただただ笑うほかないのだが、しかし真面目な話、日本人の文章リテラシーがここまで崩壊しているのだと考えるなら、決して笑い事ではすまされないと思う。

 

人類は、火を使い、文字を発明し、月に行き、インターネットを発明し、そしてAIを駆使するようになった。

しかし、「。」を見て震えるのも人類なのである。

 

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