五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

Hello again

昨年夏に一時停止した「書く仕事」を師走に再開して2ヶ月。ようやく、やっと、かつての感触を取り戻しつつある。ライターを自称しているにもかかわらず、書いておカネをもらうという営みから離れた数ヶ月。どうやって生きていたかといえば、基本は寝て起きて食べてまた寝る……の繰り返しだ。もっとも、それだけだと暇を持て余してしまうので、あいまに図書館や本屋にいって気になる本を手に取ってみたり。いつもとは違うコーヒー店で、普段あまり口にしない甘いラテを飲んでみたり。はるか昔に放り投げた分厚い法律書を倉庫の奥から引っ張り出して、舐めるように味読してみたり。そんなシンプルで、ワンパターンな日々。夏が過ぎ、秋が終わり、冬を迎えて、まもなく春がやってこようとしている。

書かない日々をやり過ごすうちに、徐々に心が整ってきて、仕事への意欲が回復し、筆に力がみなぎり、言葉が湧いてくるようになった今、「なんで書けないんだよ!」ともがき続けた果てに残った思念がなんなのかと考えてみたのだが、あまり気の利いた答えは浮かんでこない。ただ、言葉をつむぐことから距離を置いて生きることはたぶん無理だろうなという漠とした感慨はある。ライターとして金を稼ぐかどうか……という話ではない。誰かの発した言葉や文章を受け止めるだけで辛抱できるかという問いだ。私の場合、どんなに稚拙でもかまわないから、やはり自分で言葉を生み出す時間に身を委ねていないと健全な精神を保てないことが身にしみてわかった。苦しみぬいたこの数ヶ月間は、「書くことへの未練」を噛みしめるための時間だったのかもしれない。

今でこそこうして顛末を呑気にブログに書いているが、一時はかなり深刻な事態だった。こんなことを言いたくはないのだが、ライターをやめて就職しようかとさえ考えた。ちょうどポストに郵便局の仕分けの仕事を募集するハガキが投函されていたので、単純作業が嫌いではない私は、うっかり電話しそうになった。もうライター稼業には戻れないかもしれないと、うっすら覚悟を決めていた。再びこうして書く仕事に戻れたことを、素直に喜びたいと思っている。

益子の陶芸美術館で開催中のジュリアン・ステアと加守田章二の二人展を取材した。ジュリアンのワークショップの様子。