五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

いま読み継がれるべき佐藤泰志

20年くらい前の2月、青春18切符を使って北に向かったことがあった。目的地は北海道。道内を鉄路でひととおり周りながら、北の開拓者たちが残した土地の余韻や名物を味わいたい。そんな無計画な旅だったのだが、どうしても外せないと思っていたのが、作家・佐藤泰志の故郷である函館に行くことだった。真冬の函館湾は頬を突き刺すような寒風が吹き荒れていた。北国の叙情と緊張を我が身のなまった神経の奥深くにひしひしと届けてくれる快感があった。

小説が好きな人なら佐藤泰志の名はそれなりに見知っているかもしれない。彼の小説は日本人が読み継いでいくべき作品だ。同様の作家は、最近の人だと伊集院静がそうであるし、少し昔の人なら開高健、筒井康隆、中上健次がそうである。

……と書いてしまうと、佐藤の作品について、まるでかの文豪たちと肩を並べるかのような個性爆発、才気煥発の存在感があるかのごとく期待させるがそうではない。佐藤の小説はどこまでも古風で地味で、いってしまえば凡庸な作品が並ぶ。しかし、一度読んで己の嗜好にハマると二度と抜け出せなくなる不思議な魅力を持った作家でもある。

佐藤泰志は74年前の今日、村上春樹より104日遅れの1949年4月26日に北海道函館で生を受けた。41歳で自死している佐藤の作家生活は短い。本腰を入れ始めたのが「きみの鳥はうたえる」で初めて芥川賞候補になった1981年あたりで、東京国分寺で自死したのが1990年。物書きとして生計を立てていたのはわずか10年間だ。そのせいか、いかにも作家然とした突飛なエピソードはまったくないのだが、5度も芥川賞候補にあげられたにもかかわらずついに受賞に至らなかったこと*1は印象的だ。候補になるだけではあまり箔はつかないから、結句、佐藤は最後まで売れない作家のままだった。

ところがである。生前は鳴かず飛ばずだった佐藤の作品が、皮肉なことに死後高く評価されるようになり、再版や映画化をきっかけに人気を博すようになった。

作品が映画化されるような人気小説家というと村上春樹や東野圭吾を思い浮かべる人も多いだろう。彼らは佐藤とは違って多くの作品を書き、熱烈なファンがたくさんいる。小説業界の顔としてマーケットに君臨する存在だ。

他方、佐藤泰志の場合、生前に刊行されたのは3冊の単行本のみ。画家のゴッホや田中一村と同じで、まったく日の目をみることがない人生だった。しかし、2010年の『海炭市叙景』を皮切りに、2022年までにドキュメンタリーを含め7本も映画化されている。ちょっとした異常事態といえるが、これには理由がある。佐藤の作品は映画にするとほのかな影と冷たさが残る。それがなんとも言えない退廃的な雰囲気を醸し出すのだ。

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佐藤の小説はたとえるなら彩色前のデッサンのようで、読後の印象は強くない。昭和のさびれた地方都市がまとっていた陰気臭さと、街を出るに出られずくすぶる仲間や家族、恋人たちが織りなす群像劇。枯淡で波風のたたない物語は、長文のテキストで読むとなかなかきつい。小説を読み慣れていない人にとっては辛抱を強いられる作品だと思う。それなのに映画化された途端、不思議な静寂と美を帯びて迫ってくる。文章で追うと息苦しい閉塞感に満ちた物語が、映像になると鈍い光を放ち、名状し難い力を宿すようになる。

こんな風に書いてしまうと、まるで佐藤の小説をけなしているように感じるかもしれないが逆である。私もまた、佐藤泰志の沼にハマって抜け出せなくなった一人だ。冒頭の繰り返しになるが、佐藤の小説は「日本人が読み継いでいくべき」だと思っている。作品から滲み出るある種の虚しさやモノクロームの情景に共感し救われる人が、いまの日本には少なからずいるのではないか。そんなふうに思えてならないからである。

 

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*1:芥川賞だけでなく、ほかの文学賞でも候補止まりだった。