五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

興味の純度を高める

年々、興味の対象が減っていくのを強く自覚する。金はなくても時間はたっぷりあった若かりし頃は、そこに何があるのかはわからないけれど、とにかく身一つで出かけてみるのが習慣だった。

四十を超えてからは、そういう好奇心の暴走がなくなったような気がする。これがもしかすると《老い》なのだろうか……。

もっとも、興味の対象にすりよるためには相応のエネルギーが必要だ。必ずしも加齢だけが不精の原因ではないだろう。お金、時間、そして健康。これらが一つでも著しく欠けていると途端に腰が重くなる。

現在の私の境遇では、時間と健康に不足がある。例えば旅。仕事をやりくりして泊りがけで物見遊山する余裕はない。だからといって強行軍で遠方に日帰り旅行をするだけの体力は期待できないし、慌ただしい旅は嫌いだ。

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そこで最近意識しているのが、興味の純度を高めるということだ。

私の場合、ライター稼業に関わる学びや体験にできるだけ多くのリソースを割きたいと考えている。また幸いなことに、幼少期から読書への抵抗が一切なく、本に対する情熱が萎えたこともない。その結果、私の興味の対象の多くは《読書または本の購入》に集中する。24金とまではいかないが、興味の純度は年々高まるばかりだ。

実際、40代後半を迎えてからは、仕事以外の余暇の大半を読書や書店めぐりに費やしている。仕事の資料か趣味の本かを区別することなく、むさぼるように本を求め、ページを繰り、活字を舐め回す。出張先では必ず現地の図書館の郷土資料コーナーに足を運び、まだ見ぬ本との出会いを追い求める。

50代を迎えたくたびれた心身にとって、この読書に特化した陰気な生活は心地いいものだ。私の性格にあっており無理がない。

むろんコロナの影響もある。気張って外出しなくてもいい。インドア体質(引きこもりとも言う)を引け目に感じなくてもいい。私のような人間にとっては、実に生きやすい時代になったのだ。誰もがみな私のような出不精になってしまったら、日本の経済とくにツーリズムにとってはよろしくないけれど。