五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

春なのに、虚しくなる〜大谷翔平とアテンションエコノミー

大谷翔平選手の元通訳、水原一平にまつわる記事が氾濫している。どの記事も執筆のトーンは同じで、「もし」や「たぶん」や「おそらく」ばかり。確たる証拠がまだない状態なので仕方ないとはいえ、よくもまあ憶測であることないこと垂れ流せるものだ……と呆れてしまう。

ニュースメディアの悲しい性

もっとも、ニュースメディアは瞬発力が命なので、いかに読者の関心を集めて記事をクリックさせるか、キオスクの店頭で折り重なるスポーツ紙の中からどうやって選んでもらうかが勝負であることは事実。ゆえに多少不確かな情報であっても、その情報に基づいて憶測を書き散らしてしまうのだ。速報性を優先せざるをえないニュースメディアの性だろう。

SNSに蔓延する憶測の嵐

ニュースメディア以上に節操がないと思うのは、SNS上の投稿や、ニュースサイトのコメント欄に寄せられる有象無象の言葉だ。専門家でも記者でもないのに、ごくごく断片的な情報から妄想する人が本当に多い。「通訳の借金を雇い主である大谷翔平が肩代わりするはずない。実は大谷が違法賭博に興じていて、それが当局にバレそうになったので、通訳である水原を身代わりに仕立て上げたのではないか?」といったなんとも想像力の旺盛なコメントも散見する。

ウェブコンテンツにはびこるアテンションエコノミー

この一連の騒動を眺めていると、私たちライターが関わる「コンテンツ」の世界はアテンションエコノミー(注意経済)にとことん侵食されているなあ……とため息をつきたくなる。ニュースの読者は、タイトルや見出しにならぶ煽り文句につられてしまい、ろくにファクトチェックすることなく鵜呑みにしがちだ。もっとも、読者のそういった態度は不思議なことではない。特に社会人の場合、仕事・食事・移動・遊び・睡眠をのぞくと可処分時間はほとんど残されていないのだから。

誠実であろうとするほど息苦しくなる世界

「私の書く記事はスポーツ紙のこたつ記事とは違う!タイトルや見出しといった外見で読者を釣ろうなんて考えないぞ!」と鼻息荒く執筆するライターは多いだろう。しかし悲しいことに、「丁寧にコンテンツを作り込もうとして、アテンションエコノミーから距離を置こうとするほど読まれなくなる」のが現実だ。この危機感は最近出版される本にも滲み出ている。内容ではなく、タイトルやデザインや帯のコピーで耳目を集め、買ってもらうことに多くのエネルギーを注いでいるではないか。「〜が9割」「〜大全」といったタイトルは典型だ。9割でもないし、すべてを網羅しているわけでもない。しかし、そんなことは編集者にとってはどうでもいいのだろう。とにかく「9割」「大全」という言葉を入れておけば手に取る層がいることは事実なのだから。

(4月12日追記)

アメリカ連邦検察の捜査が進んだ結果、大谷翔平選手の被害額は約25億円にのぼることが判明した。元通訳の水原が大谷選手の口座に不正アクセスし、通知設定を改ざん。大谷選手本人になりすましてブックメーカーに不正送金していたという。もちろん大谷選手は今回の違法賭博や違法送金(窃盗、詐欺)の事実はまったく知らなかった。被害額の巨大さに驚くとともに、ギャンブル依存症の恐ろしさ、大谷選手がいかに水原を信用していたか、そしてなにより「大谷選手が送金に関わっていたのでは?」と何の根拠もなく疑惑を撒き散らしていた一部マスコミの罪の大きさには震撼するほかない。

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