五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

傍観者として朽ち果てていく人生

言葉に表せないほどの艱難辛苦を前にすると、人はよく「神も仏もない」とこぼす。神や仏を信じている人ほど神や仏のせいにしたくなるのかもしれないが、無理もないことだと思う。今回の地震*1で自分自身とことん困惑しているのは、途方に暮れたくなるほどの「傍観者」っぷりである。時間が経過するにつれて被害が拡大し、希望は薄れていく一方だというのに、いつだって遠くから眺めることしかできない。

阪神淡路大震災のときは、大学3年の冬休みを東京の自宅で過ごしていた。日が昇るにつれてテレビ画面越しに映る景色が破滅的に変化していく。崩れ落ちた高速道路の橋脚。その日は一日中、炎に包まれ変わり果てた神戸の惨状を食い入るように見ていたのだが、東京はほとんど影響を受けなかったこともあり、「本当に日本で起きた地震なのか?」と疑うような目で眺めていた。

東日本大震災のときはライターとして走り始めたころで、ちょうど地元宇都宮の図書館で調べ物をしていた。ゆらゆらとかすかな揺れを感じ、「また地震か……最近やけに多いなあ」などと平静を装っていると、次第にゆさゆさガシガシと揺れが増し、しまいには床から突き上げるような爆発的な揺れへと豹変した。数分間に渡って轟音が続くなか、館内のあちこちで聞こえる悲鳴。周囲のあらゆる書棚から大量の本が鉄砲水のように猛スピードで飛散した。図書館に通じる階段にできた巨大なひびを横目に急いで自宅に戻った後、テレビとユーチューブを1週間つけっぱなしのまま過ごした。消してしまうと大切な情報や決定的瞬間を見逃してしまうのではないかという恐怖心にとらわれていたからだ。津波が生き物のように港を飲み込む光景。メルトダウンから猛烈な水素爆発を起こした原発。悪夢と言いたくなる惨状がどれだけ起きようとも、やっぱり私はときどき珈琲を啜りながらテレビ画面やパソコンのディスプレイをぼんやりと眺めていただけだった。

そして、今回。神も仏もないと吐き捨てたくなるほどの悲劇であっても、どうやら私は傍観者であることをやめないらしい。自分以外の親族10人を一度に喪った男性のニュースを前にして、「いったいなんの因果か、本当に気の毒なことだ」と心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けたのに、それでもなお遠い北陸の地で起きた他人事のように感じている自分がどこかにいる。

異世界の出来事であってほしい。現実ではなく夢であってほしい。

そう願いつつも、「栃木でなくて助かった」という邪な思いがよぎることを止められない。客席から舞台を眺めるだけの日々に慣れきってしまった自分を、こうして別の自分が冷めた目で見つめている。俯瞰に俯瞰を重ね、芝居の脇役どころか、裏方にエントリすることさえも拒んだまま、少しずつ朽ちていくのを待つほかないのだろうか。

 

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*1:正式名称は「令和6年能登半島地震」