五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

すべてのポートフォリオが消えた夜

ライターが営業するとき、先方にポートフォリオを見せる場合がある。ポートフォリオはこれまでの仕事の履歴や主な実績をまとめたものだ。クラウドソーシングだとポートフォリオの出番はあまりないと思うが、企業やメディアに直接営業する場合、ポートフォリオがあると心強い。

といっても、私はこれといったポートフォリオを作らないまま今日まで生きのびてきた。ポートフォリオはなくてもライターとしてしのぐことは可能と一応言えるだろう。

もっとも、営業先の中には「あなたが書いたものを見せて欲しい」と執拗に求めてくる例もなくはない。これは当然だろう。どこの馬の骨か知れないライターから「記事を書かせて欲しい」といきなり営業されても困ってしまうし、たとえライターとしてそれなりの年数を重ねていたとしても、実際にどこまで実力があるのかは文章を見てみないと判断できないのだから。

そこで私は、このメディア・ジャンルで書いてみたいなと思ったら、そのメディアのテイストやジャンルにできるだけ近い過去の執筆記事を1本以上見繕い、サンプルとして提出するのを習慣にしていた。「私のライターとしてのスキルを、この記事を読んで判断してください」と付言して。このその場しのぎのサンプルがポートフォリオだと言えなくもない。

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ここで問題が2つある。

1つめは、クライアントの許可の問題。

クライアントの中には、外部のライターに記事を執筆させている事実自体を伏せている場合がある。そのような記事について「私が書きました」と営業先に提示するのはルール違反となる。

したがって、たとえ守秘義務条項を含む契約書自体を交わしていなかったり、あるいは契約書の中でポートフォリオへの利用を禁止されていなかったりしても、自分の書いた記事を実績として営業先に提示していいか改めて承諾を得る必要があるだろう。

2つめは、完成形の記事を見せるべきか、それとも編集前の初稿を見せるべきかという問題だ。

これはライターによって意見が分かれるだろう。完成形の記事はクライアントの手が入っているのだから、ライターの能力をはかる指標にはならないと考える人も少なくない。

他方で、たとえ編集によって完成形となったとしても、原型をとどめないほど修正されていないなら、だいたいの筆力を推しはかることはできるだろう。

私はどちらかというと後者の立場だ。校了した文章と公開された文章を比較したとき、原型をとどめないほど編集されている場合はほとんどないからだ。そもそも、ある記事を営業先にサンプルとして見せる場合は、校了原稿と公開記事に大差のないものだけをチョイスすれば、この問題は杞憂に終わる。

こういった見地から私は、過去に執筆した記事のうち、クライアントのOKをいただいているもので、かつ校了原稿と公開記事に大差のないものをストックし、必要に応じて営業先に提示していた。

……のであるが、つい先日、長年連れ添ったパソコン(imac)が成仏したために、私のポートフォリオ用記事のファイルが全て消えてしまった。

なんのことはない、ただの凡ミスである。Microsoft OneDriveやiCloudなどクラウド上のストレージを契約しているのだから、ポートフォリオ用の記事は全てそこに保存しておけばいいものを、「いちいちクラウドにアクセスして記事を開くのがめんどくさい」という幼稚な理由で、パソコンの中に全てのデータを一時保存していたのである。後の祭りとはこのことだ。

副業時代も専業時代も、年がら年中1日2本は書いていたのである。17年も書いていると納品した記事のコピーファイルの数はゆうに1万を超えることになる。管理の手間は無視できない。

それでもライターとして独立後、数年間は律儀に全てのファイルをコピーし、クライアント毎のフォルダに分類保存していた。だが、全部をポートフォリオに利用できるはずもないことに気づいてからは、馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。また画像付きの記事は容量を食うので、いつからかコピーも保存しなくなった。

そうこうしているうちにパソコンの挙動が怪しくなり、メモリ増設などで騙し騙し延命をはかっていたのだが、先日ついにお陀仏とあいなり、私がこれまでに書いた全ての記事の原本は露と消えたのである。

過去のファイルが全て消え果てた現在、営業先に私の実績を証明する手立てはない。メディアに記名記事が残っていればそれを使えるが、無記名記事の中にも有用なものが少なくなかった。つまり私は重要な営業ツールのほとんどを一瞬で失ったことになる。

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ショックではあった。

だが、一晩眠りこけてから、朝の珈琲を手にひとしきり考えてみると、「これでいいのではないか」と妙に得心するようになった。

私は未練がましい人間だ。昔書いた会心の作を後生大事に取っておいて、ことあるごとにサンプルとして持ち出す癖があった。これでは私自身、成長を放棄しているようでどこか虚しくもなる。過去の仕事への執着をきっぱり捨てるためには、不意のアクシデントの力を借りる必要があったのかもしれない。

それにポートフォリオがなくても、テストライティングで代用は可能だ。実際その後、「一本書かせてください。できが悪ければ不採用で構いません」と交渉し、契約を勝ち得た案件もあった。これは言うなれば、今の私が書く文章こそが最新・最善のポートフォリオであるということだ。

ライターは程度の差こそあれ、自分が書いた文章や記事に酔うものだ。パソコンの奥深くに潜んでいる昔のファイルをひょんなことから見つけてしまい、「なかなかいいじゃないか!」とうっとり熟読した覚えのある人もいるだろう。

しかしながら、ライターは小説家や脚本家ではない。自分の書いた文章はクライアントの所有物になる。クライアントの意向に応えるべく必死に書き上げた記事や本は、仕事をしたという過去の作業の証明にはなるが、オリジナリティは低い。ライターはクライアントの指示内容に沿ってものを書くからである。

したがって過去の仕事に自我の証明を担わせるのは重荷だろう。それなのにポートフォリオという形で物質化してしまうと、いつまでも過去の自分への執着から逃れられず、文体や表現、さらにはライターとしてのアイデンティティが熟していくチャンスを逃すおそれさえある。

仕事の記録のほぼ全てを失った2023年2月のあの夜が、ライター人生の新たなスタートラインだった……そんな風に懐かしく思い出せる日はくるのだろうか。