五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

ラジオ配信を始めてから気づいた即興表現の効果

昨年の10月から、スタンドエフエム(スタエフ)で音声配信(個人のラジオ番組のようなもの)を始めた。 

配信といっても動画とは違って難しい技術も道具もいらない。スマホにスタエフのアプリをインストールし、テーマを決めたらアプリの録音ボタンを押して好きなことを喋るだけだ。

中にはBGMをつけたり、周到な構成や脚本を用意したりする人もいるが、根がずぼらな私にはできないことだ。録音は全て一発どりで、編集もしない(不自然な間隔が空いたときにカットするくらい)。

ただ、純粋に声だけの配信なので、私のパーソナリティはよく表現できているのではないだろうか。喉の状態や録音環境によって声質や声量が微妙に違うところはいかにもアマチュアだが、プロの真似事をして悦にいるよりは正直でいいと思っている。

この配信の目的は、私の声を通じてその時々の気持ちや考えを、私の家族や友人知人に向けて残すことにある。第1回目の配信で私はそのように話した。ライター稼業について警鐘を鳴らす、そんな高尚な方針は全くないと。

……と言ったものの、振り返って聞き直してみると、ライター稼業にまつわる私の経験から得た教訓などを繰り返し語っていることに気づいた。このあたりの優柔不断ぶりも私らしさと言えるのかもしれない。

stand.fm

スタエフで声の配信を始めてから、以前よりも感情を素直に吐き出せるようになった。私はどちらかというと人見知りだし、気持ちを伝えるのが苦手。物事を理知的に考えて表現するのが好きだった。理知的な特性は、文章を書く仕事にはフィットする。だからますます感情を表に出さなくなる。

だがスタエフでは理詰めの表現ではなく、即興性を重視している。だからシナリオはない。テーマとキーワードをメモ書きし、それを見ながら思いつくまま喋るだけだ。

こういった即席の表現の場合、理知でコントロールするのには限界があり、どうしても感情が混じる。理知と感情、客観と主観がないまぜになるのだ。ブログや普段の仕事ではありえないことだが、それゆえに思考の力みがほぐれる。それが仕事で書く文章にも良い影響を及ぼしている気がする。

音声(スタエフ)とテキスト(ブログ)という異なる方法を組みあわせた発信が、私の人格や仕事のテイストにどう影響していくのか。その成り行きを楽しもうと思う。