五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

辻仁成さんの文章教室のこと

芥川賞作家・辻仁成さんが主催する文章教室をご存知だろうか。昨年の春以来4回開催され、今後も不定期に継続を予定している。

辻さんは、自身が運営するブログサイトで日々文章を書き、ツイッターと連携するなど、読者との交流を欠かさない方だ。人気作家としてだけでなく、ミュージシャンや父親として、また時には家庭料理の達人として、パリ暮らしの日常を発信し、多くのファンがいる。

そんな辻さんの第1回文章教室に私も参加した。受講生に与えられた共通課題は、《自分の家の近くにある美味しい食べ物屋さん》。私は近所の蕎麦屋について800文字のエッセイを書いて提出した。

すると驚くことに、辻さんに気に入っていただけたらしく、公式サイトに掲載される僥倖をえた。

辻さんのサイトに掲載していただいた際、担当編集者の方の手でオリジナルとは異なる改行が施された(文章自体は一切修正はなかった)。

「どこで改行するか」で文全体の雰囲気がかなり変わる。以下に、私が是と思う改行パターンで、ここに再掲しておきたい。

 

『天ぷらそばの海老天の衣』

 
佐藤拓夫


16年前に母が亡くなったあと、父と二人暮らしをしていた時期があった。

食事の用意は私の仕事。父は食への執着がなく、私が作るものはなんでも黙って食べてくれた。土曜日のランチだけは出前を取るルールだった。といっても注文するのはいつも同じ蕎麦屋の天ぷらそば。

緊急事態宣言が解除された翌日。久しぶりに外で食事をしようと近所を歩いていたとき、ふと蕎麦屋のことを思い出した。開業から半世紀は経っているはずだが、店で食べたことは一度もない。なにかを確かめたかったのか吸い込まれるように店の暖簾をくぐった。

注文したのはもちろん天ぷらそばである。海老天が2本、ほうれん草と刻みねぎが少々、それに風味づけの柚子の皮。丼を手に汁を一口すすると、カツオ出汁のよく効いた懐かしい味がよみがえった。

食べすすめるうちに「おや」と気づいた。海老天に歯ごたえがある。私の記憶にある頼りない海老天ではない。カリッとした衣が大ぶりのブラックタイガーの身をしっかりと包みこんでいる。

父が仕事を終えて自宅に戻り食卓につくまでのあいだ、私が出前の天ぷらそばに手をつけることはなかった。父は一家の大黒柱。出前の代金を払うのも父だ。先に食べるのは失礼である。古めかしい考え方だが、私はそのように振る舞っていた。

出前のそばの丼には蓋がついており、父が食卓に座るまで決して蓋はとらない。だからいつも海老天の衣は、温かい湯気としょっぱい汁の水分を目一杯吸い、よれよれに溶けきっていた。

父は母の死後から2年も経たないうちに心臓発作で世を去った。今年で14年になる。父は忙しく寡黙な人だった。息子である私ともろくに会話をせず、子供時代に遊んでくれた記憶もほとんどない。

海老天の衣が溶けるまで父の帰りを待ちつづけた土曜日の昼下がり。あの静かな時間だけが、いまなお思い出として胸に残っている。

思い出の蕎麦屋の天ぷらそば

辻さんに評価されたことはむろん嬉しかったが、なによりも心にしみたのは、このエッセイが亡き父との思い出を織り交ぜたものであり、私にとっては特別な意味を持っていたからだ。

エッセイの課題を知らされたとき、「うちの近所に美味しい食べ物屋さんなんて、あったっけ?」と困惑したのだが、ちょうど父の命日が近かったこともあり、父と私の食をめぐる体験を振り返るうちに、くだんの蕎麦屋の存在に思い至った。

書き始めると、ダムが堰を切ったかのごとく言葉が溢れ出してとまらない。締め切り当日に30分ほどで書き上げて提出した。普段は遅筆の私としては相当手早く仕上げたことになる。

***

辻さんの講義は情熱的だ。提出された課題原稿から3本ピックアップし、辻さんが考える長所と短所をビシバシと一切遠慮せず指摘していく。その歯切れの良さが心地いい。

指導がとても具体的であることも辻さんの講義の特徴だ。だめな文章に対しては、問題点を指摘するだけでなく、どのように書けばよかったのかを詳しくアドバイスしてくれる。そしてこれが最も特筆したいことなのだが、辻さんは、素人の文章だからといって、褒めることを一切躊躇しないのである。

「この表現、僕はとっても好きだなあ」
「うまい書き方です。気持ちが伝わってきていい文章だ」

などとストレートに賞賛する。

「芥川賞作家ともあろうお方が、素人の文章をこんなに褒めていいの?親近感ありすぎでしょ!」と心配になるほどだ。

実は今年の3月に行われた第3回教室にも、私は性懲りも無く課題作品を提出した。そしてなんと(!)、講義で取り上げる作品に選ばれたのだ。「もしかして、大勢の受講生の前で、俺の書いたエッセイを褒めちぎってくれるのかなあ」と妄想を膨らませたのであるが、結果は……悲惨なものだった。