五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

タバコに支配される生活の虚しさに気づけば、禁煙なんて簡単だ

禁煙に成功したときの小話を書こうと思う。

タバコは高校卒業後もしばらく吸っていたが、あるアクシデントをきっかけにスッパリとやめた。経緯はこうだ。

師走の深更、テレビを見ながらふと手元を確認するとタバコのストックが切れていた。当時の私は深刻なニコチン中毒であったから、最低でも2箱は用意してから床についていたのだが、その日はうっかり買い足すのを忘れたままだったのだ。

タバコがないとわかると居ても立ってもいられなくなり、どうやってタバコを調達するかで頭がいっぱいになった。あいにく自宅からタバコが買えるコンビニまでは1キロ以上ある。自宅近くには何台かタバコの自動販売機があったものの、当時は『タスポ』という身分証明カードがないと買えなくなっていた。私はいつも店員のいる店(コンビニかタバコ屋)で対面で購入していたので、タスポを持っていなかった。

しかも運悪く、その晩は激しく雪が降っていた。寒さと雪の冷たさを我慢しながら、タバコを求めてトボトボと1キロ以上歩かなければいけない……そんな情けない姿を想像した途端、抑えきれない苛立ちがふつふつと湧いた。

そして、「タバコなんかに俺の行動を支配されてたまるかよゴラアアアあああ!」と捨て台詞を吐き、ライターと灰皿をゴミ箱の中に放り投げたのである。その日以来、1本たりとも吸わないまま20年が過ぎ今にいたる。

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たかがタバコに行動を縛られる生活。なんとも惨めで虚しいものである。その屈辱に気づいたとき、私の禁煙はあっさり成功した。それまで数え切れないほど失敗していたのは、ガムやスルメなどの代替品で誤魔化そうとしていたからだろう。

世に溢れる禁煙指南の本には、「意志の力で禁煙しようとするのは無謀な挑戦。あくまでも合理的、科学的に臨まなければ必ず失敗する」といった言説が説かれている。私も当初はその説を信じ、喫煙衝動を誘発する味の濃い食事を控えたり、匂いに幻惑されぬようタバコを吸っている人に近づかないようにしたりとあれこれ実践していた。だが、ニコチンに対する欲求は強烈であり、そんな小手先の対策は一切通用しなかった。

結句、私が禁煙に成功したのは《タバコが主、自分が従》という屈辱的な支配関係を忌避せんとする強固な意志の力のおかげだったのだ。書棚に並ぶたくさんの禁煙本や、禁煙外来に通院して処方してもらったニコチンガムは全く役に立たず、ことごとくゴミ箱行きとなった。

これは一事が万事で、禁煙だけに限った話ではないだろう。何かを成し遂げんと努力を重ねるが一向に成果があがらない場合、一度その場から離れ、「知恵や合理に頼りすぎていないか?」と、自分の行動を俯瞰してみるといい。