五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

ライターが「夢のような仕事」になる日はくるか?

スポーツ全般が好きな私だが、選手の経験があるのはサッカーと水泳だけ。ほかの競技は見る専門だ。中でも野球が好きで、ここ数年は大リーグにハマっている。*1

注目しているのは、(言うまでもなく)エンゼルスの大谷翔平選手の活躍ぶりだ。むろん他の日本人選手や外国人スター選手たちの動向も気になるが、大谷選手のプレイがあまりに異次元なので、どうしても大谷選手に関心を寄せてしまう。

そんなわけでスポーツのニュースや記事というと大谷選手の名前ばかり追ってしまうのだが、最近目にとまった記事にとても気になるというか、(私にとって)衝撃的な言葉があったので紹介したい。

number.bunshun.jp

この記事では大谷選手のエピソードが目立つが、主役はエンゼルス監督のフィル・ネビンだ。ネビン監督はこんな言葉を残している。

自分のしているこの仕事が好きなんだ。家があるこの素晴らしい場所でもあるからね。だから『my dream job』と呼んでいる。

my dream job。マイ・ドリーム・ジョブ。私の夢の仕事。

「私の仕事は、夢のような仕事なんだよ」

そんなふうに語れるなんて素敵だと思う。きっと、この言葉の背後には「だから、私はとても幸せだ」という想いがあるに違いない。

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ネビン監督は2022年6月までエンゼルスの三塁コーチだった。前監督のジョー・マドンがチームの極端な成績不振の責任をかぶり電撃解雇されたあと、いきなり監督代行に指名され、シーズン終了まで指揮を執った。シーズンオフに正式に監督としてオファーされたときは、取材陣の前で喜びの涙を隠さなかったことから、日本の野球ファンの間でも人情家だと話題になった。

大リーグでコーチとして働く人は、皆一度は監督をやってみたいと考えるものだろう。ベースボールの世界最高峰の舞台で、チームの顔として先頭に立つ。野球人なら憧れて当然だ。

とはいえ、ネビンが監督代行に指名された当時のエンゼルスは12連敗中で、代行就任後も球団ワースト記録の14連敗まで黒星を重ねるなどチームの状態はボロボロだった。監督代行として責任を引き継ぐには相当の重圧があったはずだ。

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そんなネビン監督の境遇を思い浮かべながら、記事のなかで朗らかに笑う大谷選手とネビン監督の顔をしばし眺めていると、全身がなんともいえない感慨に包まれた。そして不意に流れ落ちた、一筋の涙。

51歳にもなる人生に疲れたおじさんである*2。悔し涙に暮れることはよくあるが、感涙にむせぶことなど何年もご無沙汰だったから、自分でも本当に意外だった。

なぜ、たかが一本のウェブ記事を読んだくらいで涙してしまったのか。ネビン監督のセリフが、あまりに素直で純情で、多幸感に満ちた言葉だったからか……。

単なる感動ではない気もする。いくばくかの悔しさと羨望を感じていたのかもしれない。

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私が自分の仕事について取材されたとする。「あなたにとって、ライターはどんな仕事ですか?」と問われたとしよう。

「長年ライターになることを目指してきました。私にとっては夢のような仕事です。」

そんな甘く熱くて清々しいセリフは、今の私の口からは出てこないだろう。文章を書くことが根っから好きだし、抵抗感もないからこの仕事を続けているだけだ。

でもいつの日か、ネビン監督がそうしたように「ライターは、私の夢の仕事だ」と誰かに語ってみたい気持ちはある。初めて記事を書いてお金をいただいたあの頃の、書くことへの混じりけのない憧れが、今でもまだ心の奥底にうごめいているから。

 

*1:いまは大リーグという呼び方は少数派で、メジャーリーグと呼ぶのが通例だろう。私はアニメ《巨人の星》のファンなので大リーグという呼称が体に染み付いている。わかる人だけわかればいい(笑)。

*2:ちなみにネビン監督は1971年生まれで、72年生まれの私と同世代。