五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

障害者とアートの関係を考える〜「もうひとつの美術館」が提唱するオルタナティブ・アートの地平

アウトサイダー・アートをメインに作品を収蔵・展示する日本初の美術館、「もうひとつの美術館」を取材した。記事はいつものように美術展ナビに載せていただいた。

artexhibition.jp

美術鑑賞に通じている人なら《アウトサイダー・アート》という言葉を見聞きしているだろう。《障害者アート》という直截で露骨な表現に抵抗を感じる人が代用しているのをよく見かける。

昔から障害者によるアートは当然あった。にもかかわらず、障害者のアートという表現を避けて、わざと障害者の存在を隠す造語が生まれた。アール・ブリュット(Art brut)*1やアウトサイダー・アート(Outsider art)*2という言葉だ。

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アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの外延はかなり曖昧である。大雑把に言うと、正規の美術教育を受けていない当事者によるアートや創作活動を指すのだが、そのように定義すると健常者のアートも含まれうる。たとえば子どもの落書きだって、アートと呼ぶに値する魅力や完成度があるなら、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートと定義することは可能だろう。

しかし、実際にこれらの用語があてがわれるとき、対象は障害者のアートであることがほとんどだ。そのせいか日本のアート界隈では、ハンディキャップのある人が関わるアート=障害者アートという認知が市民権を得ていて、特にニュースでは《障害者アート》という表現が常用語となっている。

「障害者アート」でニュース検索すると、ヒット数は5750

アール・ブリュットのヒット数は238

アウトサイダー・アートは138しかない

障害者には身体障害、知的障害、精神障害の区分がある。障害者アートの担い手としてテレビや新聞でよく取り上げられるのは身体障害者だろう。

手足が不自由だったり目が見えなかったりと、創作を妨げる物理的ハンディキャップを抱えながらも、健常者よりはるかに優れた作品を生み出す人は少なくない。

私が以前取材して記事にした酒井真沙さんは盲目の書家だ。目が見えないのにどうやって書を書くのだろう……と誰でも疑問に思うことだろう。私も酒井さんに直接会って話を聞き、制作風景を見るまで半信半疑だった。

drive.google.com

酒井さんの取材でしみじみ感じたのは、アートの神様は障害の有無に一切拘泥しないということ。芸術の評価対象となるのは、世に生まれ落ちた創作や表現のみ。アートの営みにとって「障害者か健常者か」という区分けは無意味なのだ。

ところが、私たちがアウトサイダー・アートの作品を目の当たりにすると、しばしば次のようなセリフが脳裏をよぎる。

「障害者なのに、なんて素晴らしい表現なんだ!」

「障害者でも、こんなすごい絵が描けるんだね……」

「障害者なのに」「障害者でも」という枕詞には、「障害者が手がける創作や表現は、健常者のそれよりも稚拙なのではないか?」という差別的なステレオタイプが潜んでいる。

つまり《障害者アート》という言葉があること自体、先入観を増幅する温床になっているのだ。しかし現実は先にあげたとおりで、メディアは障害者アートという言葉を当然のように使う。障害者の存在に配慮しているふりをしつつ、実際は色眼鏡をかけて見ているのである。

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今回取材したもうひとつの美術館は、知的障害や発達障害のある人の美術作品を主に展示している。アウトサイダー・アートをテーマとする国内初の美術館であり、今年の夏で活動23年目に入る先駆者だ。

知られているように、発達障害は《障害》のくくりに含めるべきではない。単なる特性のひとつに過ぎないからだ。ただ、もうひとつの美術館は障害者アートに代わる概念である《オルタナティブ・アート》(もうひとつのアートという意味)を提唱しており、障害者とそのほかの当事者の区別を一切しないことを信条とする。だから発達障害のある人の創作も広く収集・展示の対象としているのだろう。

知的障害や発達障害のある人達は、脳の機能が一部不自由であることの代わりに、感情の発露が豊かだったり、一つの行動に凄まじい集中を発揮したりと、健常者とは異なる特性を有している。その特性のベクトルがアートに向かうと、ときに圧倒的な作品が生まれる。

今回取材した展覧会「碧い時」でも、飯山太陽という作家との僥倖があった。飯山さんはすでに一定の知名度を誇る異才として知る人ぞ知る存在だ。作品を間近でみると、ほのかにエロティックで奇怪な世界観に思わず幻惑されそうになった。

もちろん、もうひとつの美術館では飯山さんの作品のほかにも個性的なアウトサイダー・アートに出会える。自分の感性にフィットした作品に遭遇したが最後、アウトサイダー・アートの沼にどっぷりハマることになるだろう。

クルマがないとなかなかアクセスしにくい場所にあるが、二度三度と再訪したくなる美術館だ。

 

*1:「生の芸術」という意味のフランス語

*2:インサイダー・アートの対立概念。公的な美術機関・教育や既成の美術マーケットの枠からはみ出たアート