五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

雨の日の記憶〜サッカー少年と鬼コーチ

雨模様が続く7月。日本の梅雨は年々熱帯化し、土砂災害と高温多湿のせいで不快指数マックスになる。一方で雨は、私の荒んだ心の中にわずかに残る瑞々しい記憶を思い出させてくれるきっかけにもなる。梅雨の雨空を見あげるたびに思い出すのは、必死にサッカーボールを追いかける少年時代の私。にわか雨でぐしゃぐしゃになったグラウンドで決勝ゴールを決め、地区代表になった。鋭いシュートではなかったが、水たまりで跳ねたボールが加速し、運良くキーパーの手元をすり抜けた。私の定位置はディフェンダーでかつ補欠。だからその一本が、中学3年間の公式戦で佐藤少年が決めた唯一のゴールだった。

野球じゃないので記念ボールはもらえない。でも、怒鳴ってばかりいた鬼コーチが、私の頭を撫でまわして子供のように喜んでくれた。たまに思い出しては鼻の奥がツンとなる、36年前の夏の日の思い出だ。コーチは私が15歳のときには還暦を迎えて何年か過ぎていたから、今ではとうに鬼籍に入っているであろう。堅物でサッカーのことしか頭にない熱いオヤジだった。雨雲の上でもやっぱり竹刀をふりまわしながら、「足を止めるな!!早くあがれえええ」と、少年たちをどやしつけているのだろうか。当時はただただ口うるさいオッサンとしか思わなかったが、今では懐かしさしかない。

嫌な記憶として遠ざけていたはずなのに、いつの間にか古いアルバムを開いたときのように懐かしい思い出に昇華していた。そんなことがしばしばある。嫌な記憶は、無理に忘れようとするとかえって増幅する。だから、忘れてしまいたい出来事を、無理やり別の体験で上書きしようとするのは悪手だろう。特になにもせず、ただ忙しい日常に身を委ねていればいい。そのうち負の記憶の濃度は少しずつ希薄になる。そして運がよければ、セピア色にくすんだ絵葉書のような風景だけが残るだろう。水たまりだらけのグラウンドのラインぎわで相手選手に1対1をしかけるサッカー小僧と、「周りを見ろ佐藤!無理に抜こうとすんな!!ワンツー使え!!!」とだみ声で少年を叱咤する鬼コーチの姿のように。