※この記事に希望的観測はない。悲観的な未来をつらつらと述べているので、気分を害する人も多いだろう。
AIが実用の道具となって久しい。私生活では「AI?使うどころか目にしたこともないけど?」という人も多いとは思うが、ビジネスの世界では単なる試験導入の域をとっくに過ぎていて、特にクリエティブ界隈ではAI無しの未来など想像が難しいところまできている。
もちろん賛否両論はある。AIが生成したイラストやデザインは、その仕上がりの凄まじい早さと簡便さと完成度ゆえに、手技とセンスで勝負してきた職人気質のクリエイターほど強い拒絶感を示しているようだ。
しかしビジネスとは残酷なもので、「早くて安くてしかも綺麗に仕上がるならそれに越したことはない」と安んじて受け入れる層がおそらくは多数を占めつつある。
「AI礼賛」に舵を切ったSEO界隈
AI歓迎の傾向はライターが主戦場とする文章コンテンツも同様だ。特に記事コンテンツをグーグル検索の上位に表示させていかに読者を引きずり込むかを競いあうSEOライティングの界隈では、生成AIの利活用が急激に伸びている。これまで大勢のライターに外注して調達してきたいわゆる「まとめ記事」の大半が、生成AIの導入により早く安く大量に、しかも高品質にアウトプットできるようになったからだ。
その流れは、株式会社EXIDEAが「SEOコラム*1を作成またはディレクションしているマーケティング担当者110名」を対象に行った調査にあらわれている。
当該調査によると、実に9割以上の担当者が「SEOコラムのライティングにAIを活用」と回答しており、そのうち9割が「記事の品質が向上」し、7割が「ライターの活用が減少」したという。
AI無しにSEOライティングで食べていくことは難しくなる
ここまでくると、純粋に人間の腕だけでSEOライティングの仕事を食い扶持とすることはかなり難しいだろう。
たとえばフリーのウェブライターが仕事を求めて日々さまよい歩くクラウドワークスで検索してみると、私がクラウドソーシングを盛んに利用していた頃(7〜8年前)は、ライティング案件の総数が10万件以上ヒットすることも珍しくなかった。ところが、たった今検索してみたところ、案件数は1,822件と2,000件にも満たない*2。
ランサーズにいたってはわずか574件である。
上記の検索対象である「ライティング・記事作成」や「ライティング・ネーミング」の中には、サブジャンルとしてコピーや編集、取材などまとめ記事以外も含まれている。しかし主要ジャンル(=検索ボリュームの中心ジャンル)は昔も今も変わらずまとめ記事だから、SEO対策を念頭においたまとめ記事の案件数が激減している傾向がうかがい知れる。
この一例からもわかるとおり、「まとめ記事を作成するなら、(人間ではなく)生成AIが第一選択」という時代が確実に来たのだ。
ちなみに、クラウドソーシングで安定した稼ぎを獲得しているライターは、例外なくリピーターがついている。しかし、生成AIが業界のすみずみまで浸透したあとは、どこまでリピーターが持続するか保障はまったくない。
仕事がない世界でどうやって生き残るか
嘆いても仕方がない。インタビューなどの取材記事や、編集・校正校閲、専門性を活かしたコラムやエッセイなどの他ジャンルに手を広げるほかに生き残る道はないだろう。
単純に情報をまとめるだけでなく、オリジナルの表現を創作したいという殊勝な向きには、ライターではなく小説家や脚本家、詩人・歌人などの作家業をおすすめしよう。もっとも、それだけで食べていくことはほぼ無理筋ではあるが。
「自分にはインタビューや編集は難しい。でもライターは続けたい。だから、自分はAI抜きのSEOライティングやコラムで勝負したい」
というのであれば、一つの専門分野をとことん突き詰めて名を上げるほかないだろう。たとえば法律・医療・福祉・IT・金融・歴史・建築・音楽・美術といったジャンルだ。これらは書き手の専門性が問われるジャンルだから、参入障壁は極めて高くなるが顧客をつかめば依頼は安定する。ただ、死ぬほど勉強しないといけないし(ウェブでちゃちゃっと知識を得ようとするなんて自殺行為だ)、自尊心をかなぐり捨てた泥臭い営業を覚悟しないといけないだろう。
有名ライターをモデルにするリスクに気づいているか?
なお、ライター業界には「誰もがその名を知っている」という有名人・超人が何人かいる。そういう方々のもとには、さまざまなジャンルの仕事が途切れることなく舞い込む。中には講師業や自分のメディア運営に忙しくて、書くことを生業の中軸から外してしまった例もある。
そういうライターは私を含め凡庸でありふれたライターとは種族がまるで異なるのであり、まったく模範にはならないことに注意すべきだ。
「本も書いて、有名人にインタビューして、バズる記事を量産して、あちこちのメディアに取材もされて……私もあんな風に有名になりたい!」
憧れる気持ちはわかるが、あれこれと真似をし、キャリアをつまみ食いしようとすると半端に終わる。ライター生命自体危ぶまれる悲惨な結果になるだろう。
すでに名を成した大物ライターは(ややトゲのある言い方だが)既得権益を享受しつづける特権が確約されている。同じ甘い蜜を求めてその棲息地に後発組のライターが分け入ろうとするのは無謀な振る舞いだ。ライターに限った話ではないが、努力の方向性を間違うと生き残ることさえできなくなる。
ライターは「属人的な仕事」になる
ライターという職業は、それが文章=言葉の組み立てを生業とする時点で、いずれはAIに取って代わられるさだめにある。今はまだ踏みとどまっているが、たとえば、単なる記事の執筆よりも高度なスキルが必要となるブックライティングも、AIで立派な作品が書けてしまう未来が遠からず(おそらくは10年も待たずに)現実になるだろう。そうなれば、ライターという職業はどこまでも属人的になっていく。
「著名人にインタビューするのだから、経験豊富なAさんでないとつとまらない」
「このテーマのコラムはちょっと特殊だから、専門知識のあるBさんに相談しよう」
そんな風に、「◯◯さんだから依頼する」という仕事に対応できるライターしか生き残れなくなるのだ。
ライターになるのは「夢」?
駆け出しのライターとして走り始めた人の中には、「文字単価が1円で、3000文字の記事を20本書けば今月は6万円。よし、あと10本書いて9万円稼ぐぞ!」というように、皮算用に励んでいる方も少なくないだろう。
しかしこれからのライター業は、そういった不確かな期待だけでしのげる「ラクな職業」ではなくなろうとしている。単純な数字のプラスマイナスで収入を見通し、家計を成り立たせることはもはや幻想になりつつあるのだ。
これは妄想による警告ではない。無責任な助言でもない。冷酷だが、どうにも避けようのない現実だ。誰であろうとこの流れに抗うことはできないのである。
単に言葉を紡いで自尊心を満たしたいだけなら、ブログやSNSで足りる。お金にはならないが、人間が抱える「言葉で自分の思いを表現する」という原理的な欲求はひとまず満たせるだろう。
ジャンルの垣根はとりあえず無視した上で、「文章で食べていくことの厳しさ」を垣間見たいのなら小説家のことを想像するといい。芥川賞を受賞した小説家でさえ、まともに食べていけるのはごくごく一握りであるのが現実だ。
近い将来、ライターも小説家と似たような境遇になる可能性がある。20年後か30年後か、シンギュラリティによって生成AIが強固な論理に加えて人間なみの情念さえも再現できるようになる世界が必ずやって来る。そんな世界で、文字情報をただ吐き出し編集するだけの仕事に対して、生活が十分成り立つだけの対価がもらえることなど、夢のまた夢というほかあるまい。
「食べていけるか」以前に、「なれるか、なれないか」「なる意味があるのか」
ライターという職業は、「夢」や「憧れ」の範疇に足を踏み入れようとしている。