本を読まない人生なんてありえないと考えている。しかし、さまざまな事情で本との縁を結べない人もいるだろう。
たとえば幼少時から苛烈な虐待を受けて人間不信になった人の場合、人間の叡智の象徴である本という存在に対しても不信感が拭えず、手に取ることができない例もある。
しかし、Webメディアでライターをしているという「みくのしん」さんの場合、少し話が違うようだ。
『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む~走れメロス・一房の葡萄・杜子春・本棚 』
みくのしんさんが書いた本のタイトルだ。
ライターを生業にしているのに、32歳まで本をまったく読まずに生活できるのだろうか?
そんな素朴な疑問がまず湧いてきた。
そこでこの本の元ネタであるWeb記事に目を通すと、なぜ彼が本が読めないのか、理由が書いてあった。
(理由1)シーンやキャラクターの顔や声色など、書いてあることを自分なりに飲み込んで、脳内で想像しないといけない。それを文字を読みながら行うという処理が出来ない。
(理由2)内容が頭で構築できないので、文字をいくら読んでもすり抜けていく。
(理由3)気付かずに同じ行を往復して読んでしまう。
(理由4)集中力が持たないので、すぐ飽きてしまう。
(理由5)長過ぎる。
実は私もこれらの理由に共感できる部分が多々あった。
たとえば理由1。文章を読むと、その情景が映像となって頭に浮かんでくるという特性が私にはある(幼少期から現在まで)。文章とセットで頭に浮かんできた映像をいったん自分なりに眺めて文章との同一性を確認する作業が必要なので、読みすすめるのに時間がかかる。
ただ、みくのしんさんの場合、脳内で想像したイメージと文字を読むという作業が並行処理できないそうだが、私の場合は並行処理はできる。そこに違いがある。
理由2については、疲労が強い状態などコンディションが悪いなかで読書すると、私もやはり内容が入ってこないことがよくある。理由3・4も同様で、疲れていると同じ行を繰り返し読んでしまうし、集中力が続かないので1ページすら読めないこともしょっちゅうだ。
最後の「長すぎる」という理由は、何度も多読を重ねていくうちに克服できたように思う。
このように、みくのしんさんと私の特性にはかなり近い面があるように感じた。それにもかかわらず、私は本の虫であり読書ジャンキーである。読むのが遅いといっても、これまで少なくとも1万冊以上の本に触れてきた。
たぶん、決定的な差異は、理由1にあるのだと思う。脳内に湧くイメージの処理と文章を読む作業を同時に行えるかどうか。別個に行う必要があるみくのしんさんの場合、おそらく脳内のイメージがなかなか消えずに固着してしまい、その残像がいつまでも残ってしまうために文章を読む作業と並行処理できないのではないかと想像する。
これは大変なストレスだと思う。もしもみくのしんさんと同じ特性だったら、私も今のような読書好きにはなれなかっただろう。
さて、ここで一つ疑問がある。みくのしんさんの仕事はライターだ。コラムニストやエッセイストや小説家ではない。当然、記事を書くためにはたくさんの資料に目を通さないといけない。取材音声のデータだけで記事を書くなら話は別だが、たとえインタビューを情報源とする執筆であっても、取材内容を補完するためにテキスト資料の助けが必要になる。
しかし、みくのしんさんは本が読めない。漫画はたくさん読んでいるそうだから、「活字の処理」が困難な特性であることは間違いないだろう。それなのに、どうしてライターとして仕事ができるのだろうか?
上のWeb記事では「走れメロス」を読破する過程がとても愉快に描写されているが、彼の特性がよく表れていて、文章以前の言葉に固執し、湧き上がるイメージと格闘している様子がわかる。目が不自由なマラソンランナーのように、並走役の人が付きっきりで対話をしながらようやく完走できている。
「走れメロス」自体のボリュームは1万字ほどだから、活字に慣れている人ならどんなに長くても1時間もあれば読了するだろう。しかし、みくのしんさんは読了に3時間もかかっている。エネルギーの使い方に大きなズレがあることは明らかだろう。
つまり、みくのしんさんは、現在でもなお「独力では本は読めない」のである。ライターを仕事にするくらいだから、識字や読字には問題がないはず。しかし、文章で書かれた本は読めない。
そんな特性の持ち主が、どうしてライター稼業を生業にして食べていけるのだろうか?
Web記事だって大量の文章が書いてある。Web記事を参考にしなければいけない仕事だって必ずあるはずだが、どうやって対処しているのだろうか?音声で読み上げさせることくらいしか考えられないが、音声読み上げだと誤読もあるし、目で文字を追うよりもはるかに遅くなるので、仕事の効率は相当に下がるだろう。
みくのしんさんは、きっとこれからも(ひとりでは)本は読まないだろうし、Webであってもまとまった活字は読まないのだろう。それでも、ライターであり続けるのなら、彼が日々心がけている処世術とはどのようなものなのか。いつか直接きいてみたいと思っている。