五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

叔父の骨を拾って考えた、私に与えられた猶予と人間の尊厳について

 

86歳で亡くなった叔父の葬儀に参列した。叔父とは亡父の事務所で机を並べて仕事をしたこともあり、個人的に格別の想いがある。私が事務所をやめてライターになったあとも、ことあるごとに私の身の処し方を心配してくれるなど、とても優しい人だった。

叔父は製鉄会社に社会人人生のほとんどを捧げた製鉄マンだった。日本は高度成長期の後半に差し掛かっていて、鉄を無限に必要としていた時代だ。だから叔父の会社は大いに繁盛したし、叔父も人生を謳歌した。

趣味のゴルフやスキーで常に体を動かしていたからか、火葬場で拾った叔父の骨はとてもしっかりしていた。骨粗鬆症のせいでボロボロだった祖母の骨(ほとんど小麦粉の状態だった)とはえらい違いだなと思った。

斎場の待合には、カメラが好きだった叔父が自ら撮りためたアルバムが飾られていて、私の死んだ祖父母や父母を交えた記念写真もたくさんあり懐かしかった。

そして、思った。「次は俺の番だな」と。

私(現在50歳)の父母の世代は昭和の戦前生まれであるから、生きていればどんなに若くても70代後半だろう。ゆえに、皆ほどなくして鬼籍に入ることになる。

すると、自動的に私たちの番がやってくる。50代といえば、江戸時代なら多くの人が死んでいる年齢だ。不摂生が服を着て歩いているような私は、生まれ落ちる時代が3つ4つ早ければ、とうに召されていただろう。

つまり、私がいま生きているのは医療や栄養状態など色々な幸運・偶然が重なった結果であって、決して必然ではないのである。

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呼吸し、食べて排泄し、寝る。これが人間の基本だ。仕事や学業や趣味やセックスは余興のようなもので、個体としての人間の生命活動に必須とは言えない。

しかしそれは、仕事や学業や趣味やセックスの価値を貶めるものではない。むしろ反対で、人間が他の生物と区別され、《尊厳》を勝ち得たのは、生命維持活動以外の時間を使って文明や文化を生み出したからだ。

したがって、いまこうしてエッセイブログを書いている時間も、このあと数時間後におとずれる原稿の締め切りも、私にとっては何もかもが尊いのである。

三者からみれば、私の生き様は嘲笑に値するものであり、きっとみじめなものだろう。だがそのような他者基準の評価は、人間の幸不幸には無関係であること、言うまでもない。

とにかく生きて、自分に与えられた役目をこなしてさえいれば、その評価の良し悪しはともかくとして、ひとまず人間としての尊厳は保てるのである。《生きてるだけで丸儲け》なのである。