五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

ピンホールの魔術師をたずねて

 

栃木県立美術館で開催中(9月4日まで)の『山中信夫回顧展』を取材した。記事は美術展ナビに載せていただいた。

artexhibition.jp

山中信夫は1948年に大阪で生まれ、1982年にアメリカで客死した写真家である。創作活動に打ち込んだ期間はわずか12年ほどだったが、その作品は現代のアート界に強い影響力を持っている。

山中が使ったカメラはピンホールカメラだ。少し年配の方なら、小学校の授業で自作のピンホールカメラをつくった記憶があるだろう。暗箱の中にフィルムや感光紙などを入れ、その向かい側に小さな針穴をあける。穴から差し込む光がもたらす像が写真になる仕組みだ。

www.honda.co.jp

ピンホールカメラには焦点がない。したがってピントをあわせるという操作も不要だ。頭の中で構図を決めたら、あとは運に任せて作品の仕上がりを待つほかない。

極めて受動的な創作手法であるが、技術の介入の余地が少ない代わりに、作家のコンセプトが介入する余地は相対的に増す。あえて現代の高性能なカメラを捨て、自然の成り行きに委ねて出来上がる原始的な作品には、写真と絵画の境界線を曖昧にするメッセージが含まれている。

山中信夫 《マンハッタンの太陽(1)》1980年

現代アート写真の大半はコンセプチュアルアートである。ただ美しい、面白いだけの写真が作品と認知されることは少ない。コンセプチュアルアート作品は作家自身による解説を要する。写真や映像が現代アート作品として成立するためには、作品にどんな意図があるのか、コンセプトについて作家自身の言葉で補完する必要があるのだ。

しかし山中は自作のコンセプトをほとんど語らなかった。色々と言いたいことはあったと思うのだが、言葉より先に体が動いてしまうタイプの作家だったのだろう。あるいは、いつの日か自作についてまとめて語る機会を探っていたのかもしれない。34年という歳月は、山中の創作意欲を満たすためにはあまりにも短すぎた。

私は写真の素人だ。仕事で一眼レフを使うが、テクニカルなことはわからないし、ファインアート写真の知識もおぼつかない。そんな私でも(だからこそ、かもしれない)、山中の作品には強く心惹かれるものがあった。幸いなことに栃木県立美術館には《太陽シリーズ》など主要作品が数多く収蔵されている。今後も山中作品の研究が進むに伴い、より刺激的なテーマの展覧会が開かれることだろう。