五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

書けなくて泣いたこと、ありますか?

 

「記事や文章が書けなくて泣いたこと、ありますか?」

私は一度だけある。出版社の編集者兼ライターとして文章を書いていた頃のことだ。

テーマやあらすじは用意できているし下調べも完璧。でも文章にならないし、言葉が浮かんでこない。日本語らしき文章を書きなぐってみるものの、薄っぺらいキャッチコピーのような残骸がどんどん増えていくだけでまとまらない。あせりばかりが募って、「永遠に脱稿できないのでは」という恐怖感に襲われたある日の朝、出勤した社長を前に「書けません。すみません」と頭を下げた途端、こみあげるものを我慢しきれずに嗚咽していた。

今はもう書けなくて泣くことはない。書けなくなっても、どうにかほどほどの内容で書きあげるスキルを身につけているからだ。それがはたして幸せなことなのか、わからない。書けない自分と四つに組み、おろおろとカーソルを行ったり来たりさせながら書くほうが、いい記事や文章や表現にたどりつけるのかもしれないなと思うことは時々ある。

フリーのライターとして独立した今は、雇われスタッフとして記事作成に追われる生活とは無縁だ。だから、あの頃の自分が常に帯同していたひりひりした焦燥感はほとんど忘れかけている。それだけならいいのだが、焦燥感だけでなく危機感も失ってはいまいか。《書く》という行為について、慣れと飽きがきているのだとしたら怖いことだと思う。