大学を卒業してしばらく経ったころ、お盆で帰省した私に亡父が手紙をくれたことがあった。夕飯を食べ終えて食器を片付けようと立ち上がったとき、「ちょっとこれ、読んでみてよ」と唐突に封筒を手渡してきた。父はそれきり何も語らず、便箋を食卓の上に広げて黙読する私を前に、ただ黙って気恥ずかしそうにビールをあおるばかり。
手紙には、父の仕事(法律事務所)を継ぐかどうか悩んでいた息子に向けた想いが短く綴られていた。たぶん少しばかり丁寧に書いたのだろう。いつも見かけるミミズがのたうち回ったかのような悪筆ではなかった。
「お前の気持ちが一番だから、どうするかは好きにすればいい。ただ、事務所を継がないなら、お父さんの代でたたもうと思う」
そんな内容だった。寛容と脅迫が入り混じった言葉に困惑した私は、「考えておく」とだけ言い残して東京に戻った。
それから何年か過ぎ、相変わらずダラダラと司法試験の受験を続けていた私だったが、合格を果たす前に父が死んでしまったので後を継ぐ気持ちも失せてしまった。
私が弁護士になりたいと考えたのは、心から尊敬する父と一緒に法廷に立つことがほとんど唯一の私の夢だったからだ。父がいない法廷なんてただの箱。厭世気分にとらわれた私は、モチベーションが完全に枯渇してしまい、司法試験の受験生活にきっぱり別れを告げた。
父が死んでまもなく、パラリーガルとして勤めていた父の事務所をやめ、ライターとして仕事を始めた。事務所の現状はというと、父の最後のお弟子さんが代表を継いでそこそこ繁盛している。なにかの間違いで私が継いでいたら早晩潰していただろうから、これで良かったのだろう。
人生は成るようにしか成らない。見えざる手に導かれるうちに、いつの間にか歳を重ね、老いさらばえて朽ち果てる。流れに身を任せた緩い生き方もそう悪くはないじゃないかと、今となっては思うのだ。