五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

手書きとキーボード。アナログとデジタル。スタイルの違いは文章にどう影響する?

令和5年度の司法試験が7月12日から16日まで実施された。受験した方は脳と体、そして心もフル駆動し、全身全霊で戦い抜いたことだろう。いまは疲労困憊で何も考えられないだろうが、とにもかくにも「お疲れ様」とねぎらいの言葉を送りたい。

司法試験の論文試験は、紙の答案用紙にペンで解答文を筆記する。憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法、そして選択科目という8科目の問題があり、各問題につき2時間から3時間の解答時間がある。大学受験までの経験しかないと、「一つの問題に3時間も必要なの?」と疑問に思うことだろう。実際に受けてみないことには、この試験の過酷さはたぶん理解できない。合計17時間に渡ってカリカリとペンを動かし続け、手の疲労や腱鞘炎の痛みに耐えながら1科目数千文字の法律論文を仕上げる。それ自体が純粋に激しい運動だといえるだろう。つまり司法試験の論文試験は、知のアスリートたちによる熾烈な競争なのであり、単なる学術試験とは負荷の度合いがまるで違うのだ。

ところでこの司法試験論文試験、2026年からパソコンを使うことが決定した。

www3.nhk.or.jp

このニュースを目にした多くの受験生からは、驚きとともに歓迎の声があがった。当然だろう。全ての受験生が論文試験の《書く》という行為の厳しさと、イヤというほど格闘してきたのだから。実務では、弁護士も検察官も裁判官も、パソコンやインターネットを当たり前のように使ってすでに久しい。本人訴訟では手書きの書面でも受け付けてもらえるが、事務官からは「できればワープロかパソコンで作り直してください」と助言されることがほとんどだ。プロである弁護士が作る裁判書類となると、手書き書面はまず受け付けてもらえない。法曹全体で協力しながら《IT化》や《迅速な裁判手続き》を実現しようというムードのなか、手書きの拙い書面を裁判所や相手方に勇んで送ろうものなら「先生……何かの冗談ですよね?」とすぐにお叱りの電話がかかってくる。それなのに、だ。法曹採用試験である司法試験だけは、なぜか旧態依然の筆記にこだわってきたのである。この現実を随分いぶかしく思っていた業界人は少なくなかった。

現行司法試験の歴史は1923年からスタートした高等試験司法科に遡る。以来一世紀、論文試験すなわち筆記試験だった。それが当然だとみな刷り込まれていたので、受験生同士で《楽に書ける筆記具》や《早く綺麗に書けるようになる練習法》などの情報が世代を超えて共有された。つまり司法試験受験生は「どうすればいかに早く、楽に、綺麗に答案が書けるか」を、100年ものあいだ思案し、対策を練り、試行錯誤を重ねてきたわけだ。手の筋肉がパンパンに腫れ上がり、試験終了の直後には「もうこれ以上、一文字も書けない……」と異常な虚脱感に襲われるほどの苦痛と疲労。受験生を長年悩ませてきた深刻で巨大な問題が、パソコン導入によって一挙に解決することになる。

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ライターとしてこの問題を眺めたとき、一つの関心が湧いてきた。

「筆記からパソコンに変わることで、文章はどう変化するのだろう」

弁護士だった父は、終生ワープロもパソコンも使わなかった。あらゆる文章を万年筆で書き、私たち事務スタッフがその草稿をパソコンで清書して正式な法律文書に仕上げていたのだ*1。父の筆力は凄まじく、数十ページ、時には数百ページに渡る訴状や準備書面などの法律文書を、パソコンのブラインドタッチにも引けを取らない速度で書き上げてしまう*2。万年筆と手だけで幾千万の言葉を生み出してきたその仕事は、《筆記》だったから十全になりえたのではないか。父の隣のデスクに座り、一心不乱に執筆する父の狂気に満ちた姿を見てきたからこそ、そう思えてならない。ペンを走らせる行為と脳の活動は連動しているから、もしいきなりパソコンで仕事をすることになったら実力の半分も出せなかったのではないだろうか。

人間が綴る文章は、どのようなスタイルを採用するかによって、文体や表現、書き表す情報の濃度が変化するということだ。パソコン入力になると、文字がデジタル信号となるため、答案用紙と頭脳との距離が一段空き、ペン先から手に伝わるような振動や触感もなくなるだろう。そうなると、発揮する能力や文章の巧拙にも影響しかねない。手と脳を行ったり来たりしながら高速で情報交換を繰り返す過程こそが、論文答案を素早く完成させるために欠かせない仕組みだったとすれば、無機質なキーボードが介在する結果、受験生の知的作業を妨害する可能性はある。司法試験の論文試験が筆記からパソコン入力になることで、一部の受験生には不利に働くかもしれないのだ。

「ペンで書きなぐるからこそ脳が活発に働き、蓄積した知識を効率よく吐き出せたのに……」

「いまさらパソコンなんて、ブラインドタッチが全然できない俺、オワリじゃん!」

そんな風に、新たな壁にぶつかる受験生がいても不思議ではない。

書く方法によって文章がどう変わるか。筆、鉛筆、ボールペン、万年筆、タイプライター、ワープロ、パソコン、口述筆記、etc。どんな道具を採用するかによって、人間が紡ぐ言葉の質量や執筆の効率が大いに変わるのだとしたら。文章稼業に精を出す者として、これは捨て置け無いテーマだと思う。本記事は問題提起にすぎない。執筆スタイルの違いが文章に及ぼす影響を、一人のライターとしてこれからも考えてみたい。

 

*1:パソコンが開発されるまではワープロを、それより前はタイプライターを使っていた。

*2:当然、字は鬼のように乱れる。まるでミミズがのたうち回ったかのように、「これは象形文字か?」と愚痴りたくなる謎めいた文字も多発する。父の手書き文字を長年清書していた私やベテラン事務員だからかろうじて解読できたのであり、赤の他人が初見で読んでも全く理解できないシロモノだろう。