五十の手遊び 佐藤拓夫のライター徒然草

2022年5月に50歳になるのを機にエッセイをしたためるブログを始めました。10年続いたら祝杯をあげよう。

才能の塊のような人間が若くして死ぬこと。その意味に思いを馳せる夏がまた来る

足利市立美術館の「顕神の夢 霊性の表現者 超越的なもののおとずれ」は、実に愉快な展覧会だった。8月17日まで開催しているので、近くに出かける人は見逃してはいけない。会場には不思議な空気が流れていた。神仏画や霊性を描いた作品を中心に展示しているが、決してそれだけではない。迷妄する作家の精神とも言うべき、「いったいこれは何を捉えているのだろう?」とひとかたならぬ疑念や畏怖が湧いてくる作品が会場のあちこちに横溢しているのだ。なかでも異彩を放っていたのが、村山槐多が1915年に描いた《尿する裸僧》である。

村山槐多《尿する裸僧》(1915年。長野県立美術館)

「尿」と書いて「いばり」または「ゆばり」と読む。元々は「ゆばり」だったようだが、現代では「いばり」と読む例が多いようだ。村山ファンならこの絵について知らぬ者はいないから、作品の詳しい背景は書かない。村山ファンでない人は、ぜひ会場で作品を直接見て、何事かを感じ取って欲しい。托鉢する僧が素っ裸で豪快に放尿する姿は、村山の自画像であると解釈されている。

足利の会場に立った私は、この作品を執拗にまじまじと、行きつ戻りつ30分は眺めていたと思う。ちょっと偏執的な態度だったかもしれない。得体のしれない野獣的なパワー。たしかに「宗教的な」と言いたくなるある種の霊性を宿しているように感じた。パソコンの画面を通した《閲覧》では、この絵の向こう側に《神》を感得することは難しいだろう。この一点を見るためだけにわざわざ足利へおもむく価値がある。

ただし《尿する裸僧》は前期のみの展示。7月24日以降は足利を離れ、巡回先の他館に移動する(展示作品は各館ごとに異なる場合があるので要問い合わせ)。「顕神の夢」展は、足利市立美術館での展示終了後、以下の予定で巡回する。

  • 久留米市美術館(福岡県):(会期)2023年8月26日~10月15日
  • 町立久万美術館(愛媛県):(会期)2023年10月21日~12月24日
  • 碧南市藤井達吉現代美術館(愛知県):(会期)2024年1月5日~2月25日

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念仏を唱えながら放尿する僧侶の絵を描いた4年後、村山は22歳で世を去る。芸術家の中には早世する人が珍しくない。最近の展覧会から例を引くと、全国から大量の美術ファンを集め話題となったエゴン・シーレや佐伯祐三がそうだ。シーレは28歳、佐伯は30歳。昨年、栃木県立美術館で回顧展が開かれた山中信夫も34歳で逝ったのだった。

輝ける未来を嘱望されるアーティストやクリエイターが、天からのギフトを十全に発揮するためには相応の時間を要する。たとえどれほど才気煥発の持ち主であっても、20年や30年そこそこの人生では、才能を萌芽させるだけで精一杯だろう*1

そういえば今回の展覧会では、あの中園孔二の作品も6点展示されている(展示替えなし)。高校2年のときに画家を志した中園は、芸大で油絵を学んだあと2年ほど東京で活動したのち、瀬戸内海の美しい海に心を奪われ2014年に香川県高松に移住。だが翌年7月に海で遭難し、25年の短い生涯を終えた。中園が生前に残した作品数は500点を超える。プロとして活動したのはたった3年ほどだったことを思うと狂気じみた創作意欲というほかない。もし日本人の平均寿命まで生きのびたら、ピカソに並ぶとは言わないが、ルノワールくらいの作品数(およそ5000点超)には容易に達していただろうし、おそらくは令和の現代日本美術における最重要の作家にのぼり詰めていただろう。

若くして死ぬことの意味を考えさせるきっかけとなるのは、芸術家の死だけではない。市井に生きる普通の人々のなかにも、才能に恵まれながら早死する人はいる。私の近くにも一人、そんな青年がいた。

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関東はじきに梅雨明けし、お盆を迎える。黄泉の国で旅を続ける御霊が、それぞれの故郷に帰省する季節だ。迎える側は、故人の面影をしのび、失われた才覚をあらためて惜しむ。私たちは今年の夏もまた、麦茶を飲みながら思い出話に花を咲かせることだろう。

「もし生きていたら、どんな仕事を成し遂げていただろうか?」

才能に恵まれた若者が忽然と消えた時、周りの人間たちが繰り返し語るのは個人的なメモリーだけではないだろう。明日へと続くストーリーを思い描くのも私たちの役目である。人類の歴史とは、死者がなし得たことの歴史だけではなく、残された人間が何を託され、実践したかの歴史でもある。キャンバスの空白に絵の具を描き足し、書きかけの原稿用紙に言葉を加えて、あったはずの、あるべきだったはずの物語を紡ぐのだ。一人ひとり、それぞれが果たすべき仕事に思いを馳せる夏にしたいと思う。

 

*1:「じゃあゴッホは?10年しか活動していないのに、他の追随を許さない画家だけど?」と突っ込まれるかもしれないが、あれは美術史上に偶然産み落とされたエイリアンであり、普通の人間と同列に考えてはいけない。それにゴッホが亡くなったのは37歳のときで、画家を志したときには20歳代後半に達していた。画業の時間こそ短いものの、決して夭折とは言えないだろう。